『紅(アカ)』



女は忌み嫌われていた。
理由はたった一つだけ、女が紅の瞳をしていたから。
在り得ぬ色、あの娘は悪魔だ、忌むべきものだ。
親に捨てられ真っ当な道も歩けなかった女は剣を取って戦場に出た。
瞳と同じ色を幾多もの戦場で散らした。
ますます女は忌み嫌われた。
誰もが戦場で女と出会うことを厭い、女はずっと一人だった。

とある戦場で、女はその日も他人の命の欠片を散らしていた。
地面の多くが女の瞳よりも暗く濃い紅へと変わった。
味方すらも女を一人にしたがったので、女は今日も一人だった。少なくともそう思っていた。

「姉さん」

呼びかけられて女は驚いた。
振り返ると、しまりのない笑みを浮かべた黒髪の男が立っていた。
間違って、女のことを知らないで話し掛けたのだろうと思って女は返事をしなかった。
代わりに誰もが嫌う紅の瞳を向けた。
男はきっと顔を歪めて立ち去るだろうと思った。
けれども男は嗚呼、と呟いた。

「この綺麗な地面は、姉さんが?」

男は表情も声音も変えずにそう尋ねた。
赤黒く染まった大地の何処が美しいのか分からなかったが、女は頷いた。
そう、と言って男は笑って女に近付いた。
女は心臓が止まるかと思った。
女にそんなに無防備に近寄ってきた者は初めてだった。

「でも」

男は女の頬に手を触れ、指先で女の紅い紅い瞳を指した。

「姉さんの目の方が綺麗だ」

そうして屈託無く笑った。
女は訳がわからなくなった。
頬に触れた手の温もりに空恐ろしさまで覚え、女は手を払って逃げた。


それから男は行く先々に現れるようになった。
男はいつも「姉さん」と呼んだ。
女の名前は無かった。
呼んでくれる人がいなかった。
だから男はいつも、戦場であっても酒場であっても宿屋であっても変わらず「姉さん」と少しからかうような口調で呼んだ。

「姉さんの目が一番綺麗だ」

男は世界が灰色なのだといった。
実際に灰色なのかどうかまでは女には確認出来なかった。男は他人であり女ではなかった。
灰色の中で赤だけが輝いて見えるのだと、だから戦場で人を殺めるのだといった。
女にそんな理由は無かった。

「だけれど、血より姉さんの紅が綺麗だ」

ずっと見ていたいよと男は笑った。
そんなに欲しいのならこんなもの抉ってくれてやると女は返した。
男はその時だけ少し悲しそうな顔をした。

「駄目だ。腐ったら見られなくなる」

けど。
男は続けた。

「もし俺が先に死んだら、香華の代わりにこれを頂戴」

男は女の目蓋の上から紅瞳を撫でた。
どうして死んだ相手にやらねばならないのか、と女が聞くと男は笑った。
男はしょっちゅう笑っていた。
女は決して笑わなかった。

「俺の体と一緒に腐ったならば、姉さんの紅を死んだ後でも見られる気がする」

女にその理屈は分からなかったが、只、そうかとだけ答えた。
男のお陰で女は一人で居る事は少なくなった。
それ以外は何も変わらなかった。
女は変わらず戦場に出たし、周囲からは忌み嫌われていた。

長く短くその時は続いた。


ある日も女は戦場に立った。
多くの命を絶やし、女は赤を振りまいた。
地面を染め上げた後で顔を上げると、男がそこに立っていた。
いつかのように笑っていた。
しかし前とは違い、男も抜き身の剣を下げていた。

「姉さんの紅が綺麗だから」

男はやはり屈託無く笑うと剣を構えた。

「中に流れている血も綺麗だと思った」

女も剣先を向けることでそれに答えた。

「どうしても見たくなった」


激しい応酬の割に、決着は呆気なかった。


男の剣は女の腹を貫き、女は剣を地に落とした。

「姉さん」

男が女に囁いた。
女は返事をしなかった。
今度は返事が出来なかった。
只、女は自分の血に塗れた手を伸ばして、たった一度愛しそうに男の頬を撫でてそれきり動かなくなった。
力の抜けた女の体を支えた男の顔が狼狽の色に染まった。

「姉さん」

男は女の事を呼んだ。

「姉さん、俺──、俺、見えないよ。赤が、姉さんの赤も。ねぇ」

自分の顔に付けられた女の血を掌で拭いそれを眺め、男は呆然として声を上げた。

「姉さん、姉さん、どうしよう、皆、皆灰色だ」

男は女の頬を撫で返して女の血をその頬に滑らせたけれども、状況が変わらない事を悟って目を見開いた。

「姉さん」

男は一縷の望みをかけて女のその閉じられた目蓋を押し上げた。
何かを見つけた男は嬉しそうに笑って、その指を女の眼窩に潜り込ませた。




「姉さん」

男が名前も知らなかった女の名前を呼ぶ。
戦の場が他へと移り、いつか紅に染まった大地には草が生えていた。
戦火を逃れた大樹の幹に背を預け、男はかつて赤黒く染まった地面の上に座っていた。

「姉さんの紅が、やっぱり綺麗だ」

屈託無く笑う男の視線の先には腕輪がある。
試行錯誤するうちに、一つは割れて潰れてしまったけれど、それでももう一つの眼球は加工して銀細工のそれに埋め込む事が出来た。
たった一つだけ、男の世界で色彩をもつそれに、男はそっと口付ける。

「でもね」

その顔にほんの少し寂しそうな影が過ぎる。

「俺、姉さんの顔の中でちょっとずつ色を変えてる目のが好きだった」

女に届く事の無い言葉を呟いて男は静かに立ち上がった。
後には二本の剣だけが墓標の様に残されていた。






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