競争よりも有意義なもの 後編





数日後、ユーリィはクリスの部屋へ行く道すがら、近々発表が有るであろう交換生のことを考えていた。

遠国リュマティーア王国との親善策の一環として行われている事柄である。

互いの国から二十歳前後の将来有望な若者を選出し、留学生として相手国の文化や風習、技術などを学ぶのが目的だ。

その他に政治の様子や議会などの見学、学習権もある。学府での意見交換の場などにも出ることが出来る。

完全に学術のみが目的の留学生とは違い、一種外交官としての役割も担っているのだと言えよう。

今年は六年に一度あるその選出の年。

候補は──ユーリアーノス・リベラート。そして、ランデルフォイ・フーデン。

どちらかだ。

優秀な人材は手元にも置いておきたい。二人は出さない。

例え国に残ることになったとしても、十分に功績はあげられるであろう。

が──交換生はほとんど無条件で、就職他に置いても優遇される。

選ばれた方は、その時点で相手より一歩先に進めるのだ。


今の状況ならば、選出されるのは自分。


ユーリィはそう確信していた。

認めたくは無いが、ランドとユーリィの力量はほぼ同格。しかし所属が違う。

組織というものは滅多に一枚岩ではないが、それはここシエーヌヴァルでも同じである。

ユーリィは王妃リリカナディアンが故国ドルナガから嫁ぐ際に付き添いとして来た、云わば余所者である。

しかし親代わりの後見人と共にシエーヌヴァルに移り住んだのは十年以上前。

生まれ故郷の記憶は朧であり、習慣も作法もシエーヌヴァル流で覚えた。

だが、いくらシエーヌヴァルの流儀に慣れようとも、ユーリィの所属はあくまでも王妃派。

これは国王派と対をなすシエーヌヴァルの一派だ。

ランドは現大臣の息子であり、生まれも育ちもシエーヌヴァル。彼は国王派に属する。

対立こそしないものの、自然と同派の間での方が結びつきは強い。人脈を利用する術は王妃派の方が上だ。

後はどう上手く立ち回るかで、どれだけ相手を引き離せるかが決定する。

考え、扉をノックしたところで、何やら騒がしい音。


「……失礼します」


嘆息しそうになるのを押し留め、扉を開いた。

目の前に現実が戻ってくる。


「──あ」

「……何をなさっているのでしょう?」


窓枠に足を掛けた王女と目が合う。沈黙が少しの間支配する。

凍った空気が決壊すると、慌ててクリスは窓枠から飛び降り部屋の中へ。


「クリスカナディス様」

「は……はぃい?」


目を逸らし、裏返った越えで答える相手にユーリィは淡々と積み重ねる。

怒りを覚える訳ではないが、呆れはした。

どうしてこの姫は自分の立場や他人の立場というものをいつまでも弁えないのだろう。


「此処は何階でしたでしょうか」

「さ……三階。──で御座いますわ」

「其処には階段があるのですか?」

「……ない」

「では、何故窓から出入りを?」

「──旅の格闘家が通りすがりに私に勝負を挑」

「始めます。反省文三千回は明日までに提出」


言い訳にもならない言葉は途中で打ち切り、さっさと席に着いた。

今王女の身に何か起きたら──何か起こす方が確率は高いだろうが──責任の粉は自分にも降りかかる。

今更言ったところで変わりそうもなかったが、それは避けたかった。

冊子を開こうとしたところで、ユーリィはクリスが立ったままなことに気がつく。


「どうしました? 始めますよ」

「──なあ」


両手を後ろに回し、顔を些か俯かせてクリスが声を発する。

綺麗に整えられた格好とは似合わない、粗野な動き。

大人しいアーレンウォルド王子といっそ性格が逆ならば良かっただろうに。


「ユーリィ、どっか行くのか?」

「何故?」


予想外の質問に、しかしユーリィは瞠目もせずに問い返す。

交換生のことは王女には伝えていない。

だとすれば、女官か誰かの噂でも伝え聞いたのだろうか。


「何故、じゃなくて、どっか行くのか、って」

「──言葉使いはもっと丁寧になさいますよう。席にお座り下さい」

「……何で答えねぇんだってば」


苛立だしいような口調で繰り返すクリス。

何が不満なのか、唇をへの字に曲げている。


「例え私が何処かへ行くとしても、クリスカナディス様のお傍には新しい者がつきます。ご安心を」

「だからそうじゃなくて」

「私が居なくとも、勉学に支障は出ないでしょうから──」

「何で言わねぇの?」


ユーリィの合間を縫うように、言葉を発する王女に小さく溜息。

何に機嫌を損ねているのかが理解出来ない。

先程の叱責にも満たないだろう言葉に苛立ったのか、それとも処罰が不服だったのか?

勝手に外に出たからといって叱責されるのは、今が初めてでも無いだろうに。

冊子に落していた顔を上げ、目線を合わせる。


「──言う必要も、無いでしょう?」


告げた次の瞬間、目の前に白い物が散った。


何が起こったのか。分からず瞬くユーリィの視線の先には、睨め上げるクリスの顔。


「そうかよ、必要ねぇのかよ」


くるりと踵を返すと、少女はそのまま部屋から走って出て行った。

額を襲った軽い衝撃にユーリィが手をやると、ひらりと白が舞い落ちる。


「……花?」


花弁を手に、小さく呟いた。

あの王女に、花を愛でる趣味があったとは記憶していないが。

だとしたら何のため?

──自分が、何処かへ行くと聞いたから? 別れに捧ぐ為?

また一枚、髪に掛かっていた花弁が落ちた。

何故怒った?

隠し事を人は嫌う。しかし、自分に関係ないのならばそれほど気にとめることはない。

関係ないと言える相手、或いは薄い関係なら。

例えば、そう、上から言われた、教師とその生徒。

嫌でも、やらなければならないから続くだけの関係。

それは、きっと、相手にとっても同じ感覚なのだろうと思っていた。


こちらがあまり好いていないのを知って──ずっと、嫌われているのだろうと、そう、思っていた。

ユーリィはクリスの走り去った方を見やり、手の上の花弁へと移す。

花壇に咲いていた花だ。あの王女の事だから、ともかく目立つものを摘んで来たのだろう。

──嫌われている上辺の関係。離れればそれで御終い。


嫌いな相手に形だけの謝辞を述べ、笑顔の裏に何かを隠せる程、クリスは聡くなっていない。

だとしたら自分は──随分と、酷いことを?


「────……」


そっと手を握り、テーブルにつけると、額を乗せ。

ユーリィはゆっくりと目を閉じた。











五日後。

交換生が発表された。

十数名の中に並ぶ名前の一つは──ランデルフォイ・フーデン。

掲示板に出されたその知らせに一瞥を送ると、ユーリィは足を進めた。

もう、どうでも良いことであった。

廊下を歩いていると、隣に誰かが並ぶ気配。

誰かに脅迫されているかの如く変わらないその黒ずくめの姿の主は、確認するまでも無い。

普段なら、顔も合わせずに左右へ分かれるのだが──。


「待て」


正面を向いたまま、ランドが低い声で呟く。

無視しても良かったが、そうすると付いてきそうな気配でもあった。

ユーリィもそちらを向かずに答える。


「何でしょう」

「……何を企んでいるんです?」

「お忙しい交換生は早く準備を始めた方が良いのでは? 手際が悪い人は大変でしょう」

「──何の真似か、と聞いているんですが」


悪態にもただ、淡々と問いを続けるランドに肩を竦めた。

二人とも視線は互いから外れたまま。


「何の真似、とは?」

「──君が辞退して、僕を推薦したと、聞きました」

「噂如きを信用するほど可愛げのある性格でもないでしょうに」

「それは勿論、噂であれば何処ぞの馬鹿が僻みで流したとでも思いますよ」

「その何処ぞの馬鹿が真に馬鹿でない限り、すでに決定した選択について文句は言いませんよ。ついでにその何処ぞの馬鹿は馬鹿ではありません。何処ぞの黒い馬鹿ではあるまいし」

「誰から聞いたと思ってるんです?」

「興味がありません」


その言葉に、ランドが立ち止まる。

無視して進もうとしたユーリィの腕を、強い力で捕らえる手。


「……何かが感染しそうだから止めて貰えますか」

「こちらだってその心情は全く持って一緒です。が──この話は、陛下から拝聴したものなんですよ」

「だったら事実でしょう。いちいち私に確認をとらずとも良いではないですか」

「──何の真似です?」


相手の手を振り払うと、ユーリィは背を向け歩き出す。

小走りですぐに隣に並ぶと、ランドが言葉を続ける。


「僕は君に同情されたい等と思ってはいませんでした」

「貴方に同情するくらいなら、日照りでミイラになったボウフラに同情するほうがまだマシです」

「僕だって君に同情されるんだったら潰れたカエルに哀れまれる方がマシです。……だから、何の真似だ、と聞いてるんです……!」


滅多に聞かない、激した口調。

自分が相手に、情けを掛けられたと思っているのだろう。

このハンデをやっても、お前には勝てるのだと、そう言われた気分なのだろう。

強い視線を送り来る相手を、ユーリィは静かに見返す。

しかし、少なくともユーリィに、その意図は無い。

わざわざ相手にハンデをやるような真似などしない。

だったら。理由は。

黒の瞳と蒼の瞳が初めて正面から見合った。

自分よりわずかだけ低い目線の相手に向けて、一言呟く。


「君と下らない競争を続けるよりも、有意義な事を見付けたんです」


訝しげな顔で立ち止まったランドの方を、ユーリィは振り向かなかった。







叩き慣れた扉をノックする。

返答は無いが、勝手に開かせて貰った。入られて嫌ならば最初に声を上げているだろう。

視線を動かすまでもなく、テーブルにだらしなく突っ伏している王女の姿が見えた。

何度言っても治らない。


「クリスカナディス様。部屋だからと言って気を抜き過ぎではありませんか」


扉を閉めて、既に言い慣れた言葉を。

条件反射なのか、びくっとクリスは姿勢を正し、その後でようやくユーリィに気付く。


「ユー、リィ? おま、どっか行ったんじゃ……」


クリスが大きな目を更に見開いて尋ねる。

そう言えば、ここ三日ほど雑事に追われて来ることが出来なかった。

彼女は王宮から出られない。もっともしばしば抜け出してはいるのだが、それはともかく。

すっかりユーリィが何処かへ行ったと思っていたのだろう。


「行きませんよ」


ユーリィは、自分の腰程度しかない王女と目線を合わせるために跪き、礼を一つ。


「私は貴女の教育係としての任を仰せ付かっているのですから」


形式だけではない礼を。表向きだけではない言葉を。


「私は何処へも行きません。貴女のお傍に」


忠誠というには少し違う。

あまりに存在の在り様が違う故の、一時の憧憬かも知れない。

しかし、それでもいいのではないか、と思えたのだ。

僅か、目の前の王女が笑ったような気がしたから。


「──で、前回の言葉使いの件に関して、反省文三千回とお伝えし損ねました」

「げ」

「ご不満がおありでしたらきちんと言葉で。それもプラスしますよ」

「いや、ちょっと待──待ってクダサイ」

「そう言えば、窓を乗り越えて外に出た分の反省文が未提出の様ですが?」

「や、あの後、旅の剣闘家が──」

「では、順番で行けば次は旅の賢者が来るはずですから、きちんと学んでおかないといけませんね?」

「────」

「反省文は今日中に提出。一日遅れるごとに四倍です」

「……鬼っ!」


小さく呟く少女の声は聞こえぬ振りで、ユーリィは椅子に座って冊子を開く。


「始めましょう。前回の続きから」



……その冊子の合間に、白い押し花を挟んだ栞が入っているのは、彼以外誰も知らない。






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