護衛隊待機所にて
「あー……」 シエーヌヴァル王城内、護衛隊待機所。 真新しい机の上で、一人の男がぐったりと突っ伏していた。 黒髪の極々平凡な顔立ちのその男の名は、ベリデアッツ・ファンク。 シエーヌヴァル王国第一王位継承権所持者であるクリスカナディス・エルス・シエーヌヴァルの護衛隊員を束ねる役職にある。 「隊長ー、コーヒーどうぞー」 声を掛けながら、奥の小さな部屋からもう一人男が出てきた。 両手に持った黒い液体で満たされたカップの一つをベリデアッツ──ベリーの前に置いて、自分も椅子に腰掛ける。 やはりさして特長はないが、それでも少々愛嬌はある顔立ちの男は、突っ伏したままの護衛隊長に首を傾げた。 「どうしました? 疲れてるのはいつもですけど、今日は特に疲れてません?」 「……いつも疲れてる状況をどうにかしたいんだが」 「無理でしょう。ほら冷めますよ」 「即答すんな。……ああ」 緩慢な動作で顔を上げたベリーは、茶髪の男に促されてカップを取る。 それを口に運びながら、窓の外へ視線。 護衛対象のクリスカナディス王女は、現在教育係であるユーリアーノスの授業を受けている。 隙あらば脱走やら攻撃やら無差別爆撃やらをやらかす王女が唯一大人しくしている時間であり、同時にベリーの唯一の休憩時間と言っていい。勿論、護衛自体はしなければならないが、今の時間は他の隊員の受け持ちである。 何しろ、今朝も『先手必勝はつまり攻撃は最大の防御ってことでまあつまり喰らえやぁっ!』という訳の分からない理由で朝も早くから奇襲を受けたのである。おちおち寝てもいられない。 シエーヌヴァルに来てから、無闇に物音に敏感になったと思い、ベリーは肩を落とした。 砂糖を入れず、ミルクだけ大量に突っ込んだコーヒーを飲んでいる目の前の男に視線を戻す。 「ゲトマン、お前は疲れないのか?」 「はあ、いえ、だって被害受けてるのは主に隊長ばっかですから」 「俺は好きで受けてんじゃねえよ」 「僕らじゃ相手にならないんだから仕方ないですよ、いやあ隊長ってば強いなー」 あっはっはと笑うゲトマンにベリーは一瞬カップを握る手に力を篭めたが、慣れているのかすぐにそれを解くと、胸を軽く押さえてぼそりと呟いた。 「今心の奥底に浮かんだものは殺意だと思う」 「止めてくださいよ、そんな王女みたいな」 「毒されてんのかもなぁ……」 「あはは、やだな隊長ってば、元から毒じゃないですか」 「よし良く言ったお前の担当時間今週二倍な」 「うげ」 抑揚のない早口で言い渡された宣告に顔をしかめた隊員に、隊長は深く息を吐いた。 このゲトマンは一番年が近いが、それでも三つか四つ年上だったはずだ。護衛隊の中で一番若いのはベリーである。 何しろ王女護衛隊は体力勝負なので、上の隊員でも三十代前半と平均年齢がかなり低いが、それでも一番年若い者が隊長というのは異例らしい。 前隊長は五十の前半だったから、そんなベテランから若造に代替わりしては誰も付いてこないのでは、とベリーは内心危惧していたのだが――隊員たちの反応は実に良いものだった。 曰く。 『隊長が若ければ長く役割を努めて貰える』 『自分より若ければ自分の在任中に隊長の役割が回ってくる事はない』 『若いなら結構無茶しても大丈夫だろう』 『自分以外なら全く何の問題もない』 「……俺の位置ってもしかして、誰でもいいんじゃねぇ?」 笑顔で言われた言葉を思い出して思わず遠い目になるベリー。 しかし、台詞を聞きつけたゲトマンは眉根を寄せて首を振った。 ぐ、と拳を握って少々声を高める。 「違いますよ隊長! だって本当、隊長が来た時にはみんな喜んだんですよ! 将来有望なのが来たって!」 「ほーう?」 「あ、その声は信じてませんね。ミーセイル前隊長が、次期隊長候補にするってベリー隊長を連れてきた時には本当大喜びだったんですから!」 「……自分が隊長になる予定だったのに、外れた、とか恨むのはいなかったのか?」 「いやだなあ隊長ってば」 カップを片手に、ゲトマンはほがらかに笑った。 胡散臭い。ベリーは目を細めて男を見やる。 「ベリー隊長が来なかったら、その一ヶ月後に隊長を選ぶ予定だったんです」 「……だったら余計に」 「まあ聞いて下さいって。そもそも隊長になる予定も何も、隊員の中にそれを希望する人はいなかったんですよ」 何しろ皆、前隊長の必死の頑張りを見てましたからねぇ、とゲトマンは続けた。 「それなら仕方がないとミーセイル前隊長が副隊長を指名したら、副隊長は取り消さない限り仕事に出ないって引きこもっちゃうし」 「そこまで嫌だったのかっ!?」 「仕方ないからもう恨みっこなしでジャンケンで決めようってなってたんです」 「軽っ!」 「みんなが仕事放ってジャンケンの必勝法を必死で探してる中に来た次期隊長候補ですよ? もう喜ぶどころか奇跡に近いと諸手を挙げての大歓迎に決まってるじゃないですか」 「仕事しろよっ!」 机を叩いて突っ込んだベリーにもゲトマンは動じない。涼しい顔でミルクたっぷりのコーヒーを口に運んでいる。 揺れた時に僅かに机にこぼれた自分のコーヒーを虚しい気分で拭きながら、ベリーはまた深く、溜息。 「……でも結局、誰でも良かったのには変わりがねぇだろ。俺がいない時でもなんとかなってたんだろ?」 「それはミーセイル前隊長が老骨に鞭打って働いていてくれたのと、王女がまだ成長されてなかったお陰ですよ。今の王女だったら前隊長でもちょっと抑えきれなかったと思います」 「俺も抑え切れているとは思っていないんだが」 窓の外の建物へとベリーはまた面を向けた。 つられた様にゲトマンもそちらを見る。 下手すると毎日数回爆音の聞こえる中庭も、今だけはとても静かだ。 「隊長でそんな具合なら、隊長がいなくなったら余計酷くなるじゃないですか。ユーリアーノス様だって四六時中王女の側にいる訳じゃないし、誰がストップかけるんですか」 「お前ら努力しろ」 「無理です。シエーヌヴァルに生まれ育って二十四年、護衛隊に入隊してそろそろ十年。王女と接する内に僕が悟った結論です。無理です。常人じゃ王女に対抗するなんて無理な話です」 「遠回しに俺の事馬鹿にしてないか」 「馬鹿になんかしてませんよ。むしろ王女に対抗できるなんて常人でない身体・精神力の持ち主だと思ってます」 「褒めてねぇだろそれっ!」 怒鳴って突っ込んでから、ベリーは脱力して再び机に上半身を預ける。 常にない様子をゲトマンも察したのか、小さく眉根を寄せてその肩を叩いた。 「隊長、隊長、まあちょっと僕らも負担かけすぎかなー、っては思ってるんですよ。けど、実際問題として王女に対抗できるのも王女が狙うのも隊長だけなんです」 「――そりゃ分かってるよ。あの馬鹿娘、手加減ねぇから下手してお前らの数がこれ以上減っても困る」 「王女に向かって馬鹿とか言えるのは本当隊長だけですから。……で、その分せめて、事務関係で隊長の手を煩わす事を減らそうと思って、僕らで片づける数を少し増やしておいたんですけど」 「え?」 ふっと顔を上げてベリーはゲトマンを見やる。 茶髪の隊員は微か笑ってその視線を逸らした。 そういえば、とベリーは思い出す。 近頃、王女と交戦した後で提出したりまとめたりしなければいけない報告書や書類の枚数が減っていた。 手続きの方が簡略化されたのかと思っていたが――違ったのか。 何を言ったものか迷って、ベリーは数度口を開閉させて、結局一言呟いた。 「……ありがとよ」 「いいえ、お疲れ様です」 机の木目に視線を落したベリーに、ゲトマンが視線を戻して笑った気配がする。 一度目を閉じてから身を起こし、温くなったコーヒーを飲み下した。 「……今更、腐れ王女の性格が変わる事もないだろうしな。そうすると、抑えるしかないわけだ」 「まあ、僕ら護衛隊は護衛よりもストッパーの役割の方に正直ウエイトを置くべきでしょうからねぇ」 「で、やっぱりそうなると――どうにか頑張るしかないって事か」 「ですね」 ゲトマンの同意の頷きに、ベリーは座ったまま伸びをする。 首を回すと、今度はやや大袈裟に息を吐いた。 「仕方ねぇな。午後もどうにか持つよう努力すっか」 「――そうですよ、隊長」 ベリーの言葉に、ゲトマンは二度ほど大きく頷く。 そして拳を握って言葉を続けた。 「何しろ、兵士管理長が僕ら護衛隊のお陰で不真面目な兵士が激減したって喜んでたんですから!」 「……は? 何で俺らのお陰で減るんだ?」 肩を叩いていたベリーの顔が訝しげなものになったが、ゲトマンは気にしない。 愛嬌のある顔を笑顔で更に人懐っこくして、指を立てる。 「勤務態度の良くない兵士の再研修の時のスローガンを、『護衛隊に行きたいか!』にしたら不真面目な兵士が激減したって」 「罰則扱いっ!?」 「これからもその調子で皆の危機感を煽ってくれと」 「何じゃそりゃあっ!」 兵士管理長ー! と叫ぶも、建物の端にある待機所からは届かないだろう。 まず管理長の名前どころか、何処に部屋があるのかも覚えていない。 ベリーが頭を抱えている間に、外で窓の割れる音がした。次いで、何かが落ちてくる音。 それが何かを確認する前に、カップを片づけようとしていたゲトマンが軽い口調で呟く。 「あ、王女」 「はっ!?」 「休憩時間でしょうかねぇ。あー、ミエット先輩が蹴り飛ばされた」 「何やってんだあの不良娘はっ!?」 「多分、『ええい休憩の時くらい体動かさねぇと体が鈍るっ!』って事じゃないでしょうか」 「冷静に分析してんなぁぁぁ!」 「え、だって今は僕の担当時間じゃないですし」 「今週お前の担当時間二倍って言ったろうが、さっさとユーリィ様に押しつけ返しに行くぞっ!」 「ええええええって本気で二倍なんですか僕の担当っ!? 隊長襟首掴まないでー!」 「やかましい、うっかり怪我なんてしたらまたミエットの野郎休暇申請するぞ、それでいいのかっ!?」 自棄気味に向けた台詞に、一瞬ゲトマンは視線を宙に向けた。 ぱっと立ち上がると、ベリーの数歩先まで走って先を指す。 襟首を握っていたベリーの手は、虚しくその形に残ったままだった。 「行きましょう隊長! さあ早く、ミエット先輩の身に何かある前に!」 「……時折思うけど、お前変わり身早いよな」 「すいません、僕自分に正直なんです」 「それは知ってる」 些かげっそりした気分でベリーが走るゲトマンの後に続き、その場は静かになる。 待機所には、空になったカップが二つだけ残された。 |