ベリデアッツ・ファンクの受難 後編
「うごぉっ!?」 飛来した石が額にでも当たったのか、また兵士が一人脱落した。 ギリギリでかわしたベリーは、背中を冷や汗が伝うのをリアルに感じた。 「何なんだアレっつーか本気で王女なのかというかそれ以前に人間かよオイ」 長い独り言を呟きながらも、かなりのスピードで走っている体はそろそろ悲鳴を上げそうだった。 ベリーと共に走り出した者たちは、大半が既に脱落している。 それでも走っているのは、単に意地と──そして背後の兵士たちの視線故かも知れない。 一人、また一人と減っていく度、何とも言えない雰囲気が。妙な殺気とでも言おうか。 それが王女に対するものなのか、脱落して行く者たちへの恨みなのかまでかは判別できない。 当の王女はと言えば──。 「くはははははっ! 私に追い付けるものならば追い付いてみるがいい!」 悪役全開で爆走している。 あの小さい体の何処にそんな力があるのか知らないが、息切れもしていない。謎だ。 兵士は勿論のこと、ベリーだって同程度の少年らと比べれば随分と体力のあるほうだと自負している。 しかしそれでも追いつけないのだ。 ドレスを風に翻しながら、蝶の様にひらりひらりと跳んでいる。 これが花畑で、花冠でも持っていたのなら、絵本の中の「お姫様」が出来上がりだが──。 屋根の上を常人でない速度で爆走し、手には石、では話にならない。 「うわぁっ!」 「わっ!?」 ベリーが投石を避けると、隣にいた兵士がとばっちりを喰らった。 屋根の上だったので兵士はバランスを崩して滑る。 さすがにそれは見逃せずに、王女を目線で追いながらも慌てて手を差し伸べた。 「だ、大丈夫ですか?」 屋根から落ちかかっている相手に向かって言うが、彼は首を振った。 やけに必死な瞳で、熱く語ってくる。 「俺は平気だっ! それよりも、王女様をっ!」 ……同時に『助けないでいい』と全身で語っている様にも思えた。 「いや、でも、落ちそうですし……」 「大丈夫だぞ少年っ!」 「後は私たちに任せたまえっ!」 一応ためらったベリーの背後から、別の兵士が二、三人声を掛けてきた。 やっぱり何処か必死な様子の彼らは、さあさあ、とベリーの背中を押し、落ちかけている兵士に群がる。 よく考えれば彼らは武装しているのだから、石が当たってもバランスを崩す程度で済むのが当然なのだろう。 「傷は浅いぞ!」 「ていうか傷はほとんど無いけどな!」 「落ちるなよ!」 「だったらとっとと助けろよ。落ちる落ちる」 「いや、もうちょっと待ってくれ」 ……何だか微妙に気になる会話を背に、押し出される様に走り出した。 ベリーの隣の相手が、ぽつりと呟く。 「あいつら……自分たちが今日夜勤だからって逃げたな……」 「────」 思わず遠い目。そうしてベリーは納得する。 この馬鹿馬鹿しい「追いかけっこ」から早く脱出したかったという事か、と。その後で、呟いた相手の方を向いた。 年齢的には一番高そうな白髪の大分混じった男で、他の兵士達とは若干制服が違う様に思えた。 年は行ってるのに、他の兵士ほど疲労していないようにも見える。 視線に気が付いたのか、男もベリーの方を見詰め返して来た。 「おや、少年。君は見ない顔だ、な、あ、?」 「あ、あ、俺、は今日初めて此処に来たんで……」 言葉が途切れたのは、屋根と屋根の間を跳んだのと、投石を避けたせいである。 耳元で石が風を切って飛んでいく音がしてまた冷や汗。広場からはもう随分と離れた。 足元に広がるのは住宅地のようで、路地の間から時々子供が指差して笑っているのが見えた。 正直見世物じゃない、と叫びたかったが、男はそんな事は気にしないのか、ベリーの言葉に目を細める。 「ほお……今日来たばかり……ふむ……」 ひとしきり呟いた後、妙に爽やかな笑顔を向け。 老婆の笑みとは質の違うその笑顔に一瞬、嫌な予感が全身を走ったが、それが何かを確認する暇も無かった。 男が何かを言う前に、王女の声。 「ははははっ! もう年だなじじい隊長! 若さ溢れる私に追い付けるものかっ!」 「何を言ってる小娘っ! 亀の甲より年の功っ! 若い時は『俊足のミー君』と評された私だぞっ!」 「喧しい! 過去の栄光に縋るは年寄りの証っ!」 「振り返る程の過去もない薄っぺらな人生経験の小娘が偉そうな事ぬかすでないっ!」 「…………」 再度、遠い目。 聞くまでもなく、この爺……もとい、男はこの兵士達の隊長のようだ。 が、しかし。 「あの……本当にアレ、王女……?」 聞くに堪えない罵詈雑言。おまけに此方も悪口雑言で返す隊長。 一体何処の国に、こんな歪んだ関係があるのだろうか。 いやそれ以前に先程の兵士も職務放棄といえば職務放棄に当たるし。 呟きを聞きとめた隊長が律儀にも返事をしてくれた。 「ああ、クリスカナディス・エルス・シエーヌヴァル王女だ。御歳十……いや、十一になられる」 「……何で、屋根の上爆走してんですか?」 「本人曰く、『スリルとサスペンスと一時の非日常感』らしいが、私にはさっぱりだ。判るかね少年」 「いえ全く」 現実はいつも無情である。 訂正。 一体何処に、十一歳の王女がスリルとサスペンスと一時の非日常感を求めて屋根の上を爆走する国があるだろうか。 此処にある、と言われてしまえばそれまでなのだが、見るだけでは納得できないものとは何処にでもあるものだ。 まだどうしても疑惑が拭えないベリーは一縷の望みをかけて質問した。 「一応聞きますけど……ドッキリとかじゃないですよね」 「違うな。それだったらどんなに気が楽か。ちなみに私は心臓がドッキリいきそうだが」 「……あの……」 即答された言葉よりも後半の方が気になった。 休め、あんたは。 その言葉を言い出す前に、勝ち誇った様な王女の声。 「ふはははははっ! 骨の弱っている手前には、もう追ってこれまい! さらばだっ!」 そう告げると彼女は飛び降りた。 ──優に三階分の高さはある屋根の上から。 「だあっ!? 危ねぇっ! 死ぬっ!」 「しまったぁぁぁ! 逃げられたぁっ!」 同時に叫ぶベリーと隊長。意味合いは大分違った。 地団太を踏む隊長はさて置いて、屋根の端まで走って急いで覗き込んでみると、植え込みが一部へこんでいた。 そこをクッションにして飛び降りたのだろう。ある程度地理を把握していないと難しいかも知れない。 更に先の方に、全く平気な様子で走る王女の姿。 「……本気で人間かよ」 「くっ、こうなったら!」 倒れてるんじゃないかとの心配を胸に駆け寄った身としてはなんとも心が寒い。 ぽつりと呟くベリーに対し、隊長はやけに熱く拳を握る。彼のせいで隊員もあんなノリなのかも知れない。 そんな事をつらつらと考えていたベリーの肩に掛かる手。 「少年よ」 「はい?」 「君は骨は丈夫だね?」 「は?」 「是非王女を追ってはくれないか」 「え、いや、ここ三階……」 「そうか、追ってくれるか、有難う!」 「え、だから……」 「では!」 隊長の言葉と共に、浮遊感。 突き落とされた、と理解するよりも早く。 「だあっ!?」 王女が飛び降りた時と同じ悲鳴を上げ、植え込みに突っ込んだ。 背を打ったときに肺から息が漏れて一瞬呼吸が出来なくなる。 ぎしぎしと体が痛んだが動けないほどではなかった。予想以上に植え込みが丈夫だったらしい。 上から、隊長の声が聞こえてくる。 「少年、君の犠牲は無駄にはせんぞっ!」 「生きてるわっ!」 「なんと!」 「驚くなっ!」 「では追ってくれ! 私は年なので別な道を探す!」 「……鬼か……」 思わず半眼で呟くが、すでに彼は屋根の上から消えていた。 本当に奇跡的ではあるが、かすり傷以外は何もない。自分の悪運に感謝。 今考えるべきことでは無いが、もし大怪我でもしていたらどうする気だったのだろうかあの隊長。 「っちっくしょ、こうなったらアレ、絶対に捕まえてやる……」 怒りのベクトルをひとまず王女へと向け、急いで立ち上がり。 駆け出し始めると、ひらひらと舞うドレスはすぐに前方に見えた。 屋根の上と違って曲がる場所が多いので、先程の様な速さは出せないらしい。 角が多く、しょっちゅう見失い掛けるが、どうにか歩幅分で距離を稼ぐ。 いくら体力や脚力が人間じゃなかろうが、十一歳の少女では限界もあるだろう──と考えていたが──。 「追い付けないって何でだオイ!?」 誰もいない路地で、一人叫ぶベリー。絶叫してまた体力が少し減った。 戻ろうにも、入り組んだ道は余所者のベリーには少々キツイ。 延々と続く鬼ごっこにいい加減飽きも来ていたが、飛び降りた兵士は、誰もいなかったらしい。 と、なれば、後はあの王女をひたすら追いかけるしか無いわけで。 「何か俺、悪い事でもしたっけか──」 思わず日頃の行いとかを振り返りながら、もはや何度目か判らない角を曲がり──。 突然目の前が真っ暗になった。 「ぶっ!?」 止まるよりも早く、がこん、といい音を立てて何かに顔面からぶつかる。 思わず鼻を押さえてしゃがみ込むと、視線の先にはドレス。 「あははははははっ! 引っ掛かってやがんの、バーカバーカ!」 「って……」 レベルの低い悪態に視線を上げると、そこには追いかけていた本人、クリスカナディス王女。 手には、何処から持ってきたのかフライパン。これにベリーは突っ込んだらしい。 金髪碧眼の整った顔立ちを、今は爆笑に変えている。 その背後から、例の隊長が現れるが──非常にいいタイミングだ。どこかで計っていたんじゃなかろうか。 「おお、捕まえたのか少年っ!?」 「違うな、私が捕まってやった、だ。言い直せ爺」 「良くやった少年っ!」 「この私を無視か年寄り骨粗鬆症爺っ!」 「骨粗鬆症では無いわ小娘っ! ユーリアーノス様に言いつけるぞっ!」 「はん、いい年して他人に頼るのか」 「──ぐっ……とりあえず! 城に戻ってもらいますからなっ!」 隊長のその言葉を、さっきの仕返しか完全に無視して王女が近寄ってくる。 にやり、とその表情を笑みに変えて、ベリーの鼻先に細い指を突きつけた。 「手前、飛び降りてくるとはなかなか根性あるじゃねぇか、今回はそれに免じて捕まってやろう。有り難く思え」 「いや、あれは……」 「そうだそうだ少年、君の勇気に乾杯だっ!」 「誰のせいだと」 「そんな事はさて置きっ!」 突っ込んだベリーを無視し──この辺り、王女も隊長も似た者同士だと思う──彼は肩に手を置いた 「少年、君、クリスカナディス王女の護衛隊に入る気はないかね? あ、今なら隊長候補として迎えよう」 「は?」 「実は──護衛隊は、人手不足だ」 ふっ、と視線を遠くに向ける隊長。 片方の手は、痛いくらいにベリーの肩を掴んでいる。逃げられない。 「曲者から王女を守るというのはほぼ名目──実際は、王女が何かしでかした場合、それを必死で押さえるのが我が隊の役目っ!」 「それ、護衛じゃないと思う」 「だが、そんな立派な公務にも係わらずっ! 毎年毎年隊員が減る減る減るっ! 隊長を選出しようにも、皆辞退する有様っ!」 「だから俺には関係な」 「だが、私はたった今将来有望な少年を見付けたっ! と、言う事で少年、君を次期隊長として訓練しようと思うっ!」 「人の話を聞けっ!」 気が付いたら決定の形を取っている台詞にベリーは思わず心の底から絶叫したがやっぱり聞いちゃいない。 いや、聞いていても意図的に無視している。 気が付けば、服の襟元を掴まれてずるずると引きずられていた。 「ちょっと待ておっさんっ!? 俺は一言も承諾してねぇぞっ!?」 「はっはっは、そんなに喜ばなくてもいいぞ少年。あ、名前は城に帰ってから聞こう」 「喜んでねぇっ! 強制連行かよオイっ!?」 「逃げられたら困るしな」 「逃げるわぁぁぁっ! 離せ、俺はここを出るっ!」 「ははははは、国家権力には逆らわない方がいいよ」 必死で抵抗してみるが、男の腕はぴくりとも動かない。これが火事場の馬鹿力という奴だろうか。 暴れながら隣を見ると、王女がにやりと挑戦的な笑みを浮かべて来た。 それを見て、思わずベリーは、沈む夕日に向けて遠い目をしたのだった──。 ──父さん、母さん。 就職先が見付かりました。いえ、見付かったというか、何というか。 ともかく、俺は強く生きていこうと思います。 しかし──俺は何か、選択を間違った様な気がしてなりません。 ベリデアッツ・ファンク |