ベリデアッツ・ファンクの受難 前編
皆さんこんにちは。語り部のマルキウェイです。 さて、今回のお話だけど、五年程前に遡るよ。 苦労人との呼び名の高い、しかしやっぱり何処か常識無いと思われる護衛隊長。 そう、彼の名はベリデアッツ・ファンク。何で彼がクリスの護衛になったのか? 最大の謎と言うべき程の物じゃないけれど、少しは気になるよねぇ? よねぇ、とか言ったけど興味の無い人はさっさと流していいんだけどねあはは。 ま、とにかくこれから話すのは、一人の少年の人生の転機。 ……悪い方か良い方か、ってのは僕からはノーコメントで宜しくね? と、今回僕の出番はこの前置きだけだ。寂しくっても、泣いちゃ駄目だよ。 じゃ、何かツッコミが来る前に、はじまりはじまり! ──シエーヌヴァル。城門前広場。 時期によっては祭りなども行われるその場所は、平素から賑わいを見せていた。 旅人目当ての装飾品を売る露店、地元民の為の食料品を売る屋台、裏通りには若干怪しげな商品を並べる商店。 何処の都市にもある場所だ、と言ってしまえばそれまでだが、そこに暮らすものにとって、また旅人にとっても要の場所だ。 客を呼び込む声や、値切る声が飛び交い、活気が溢れ満ちている。 そんな中を、一人の男──いや、少年──が歩いていた。 「思ってたより活気付いてるんだなー……」 周囲を見渡し、その少年は呟く。右肩のリュックを背負い直し、適当な屋台に近付いた。 短く切った黒髪が、活発そうな印象を与える。 沢山の果物の籠に埋もれ掛けていた露天商の老婆が、そんな彼に声を掛けた。 「おや、アンタ、また来たのかい?」 「は? いや、俺、此処は初めてなんだけど」 「あれ、そうだったかね、もう年で……」 しわの刻まれた顔を更にしわくちゃにし、ふぁふぁ、と歯の無い口を開けて彼女は笑う。 どれ、と呟いて、真っ赤な林檎を少年に差し出した。 先の言葉も客引きの為だったのかと少年が思うよりも早く、老婆はあげるよ、と言う。 躊躇う少年に老婆は細めた瞳で邪気の無い、それでも何処か茶目っ気を含んだ視線を送った。 「ただ、ついでだと思って、年寄りの暇つぶしにちいっとばかり付き合ってくれんかね?」 「──何だ、その位なら構わないよ」 少年は瑞々しい果実を受け取って笑顔を浮かべる。 肯定の言葉にか、或いはその表情にか、老婆は細い目を更に細めて笑う。 「孫がアンタ位なんだけど、最近はちっとも来やしない。……そう言えば、一人かい?」 「ん、今は、特に当てナシで一人旅中。ねぇお婆さん、どっか働ける所とか無いかな?」 「働ける所ねぇ……大きい店とかだと、募集してるかも知れないけど、すぐ見付かるかどうかは判らないよ」 「そうか──んじゃ、気長に探すしかないか。旅費もそろそろ心許ないんだけどな」 林檎を囓りながら、少し困った様な表情。茶色の瞳が天を仰ぎ、ついで広場から見える最も大きな建築物へと向いた。 少年の背丈の二倍ほどある塀に囲まれた、白の城。広場からはそこへ向かう道が長く伸びている。 当然、この国の王の居城なのだろう。今は門はしっかりと閉じられていて、小さく門番の兵士の姿が見えた。 少年の視線が城の方へと向いたのを見て、老婆が思い出した様に手を叩く。 「ああ──手っ取り早くお金を貰いたいんだったら、一つあるよ」 「何?」 勢いよく振り返って耳を澄ます少年に、老婆は秘密を教えるように顔を近づけて囁いた。 「お姫様を捕まえればいい」 「は?」 期待に輝いていた少年の顔は、呆気に取られた様なものに変わり、その後苦笑いをする。 しゃり、と小気味のいい音を立てて、林檎が噛み砕かれた。 「いや……さすがに犯罪はちょっと」 からかわれたと思ったらしい少年の言葉に、ふぁふぁふぁ、と老婆は先程よりも大きく笑った。 林檎の香が流れる。 首を傾げた相手に、彼女は城門の方を指さして見せた。 「犯罪じゃないさ。ほら──百聞は一見にしかず、って言うだろ?」 「え──?」 今度は少年が振り向くより先に、怒号が上がった。中年程度だと思われる男の声。 気が付いたら城門は大きく開いていて、そこからわらわらと人が出てきていた。 あれよあれよという間に広場の人垣が割れ、走る兵士がすぐ近くに迫っている。 しかも、何故か武装済みだ。 後ろの方の兵士が叫ぶ声が広場の喧騒を割って響く。 『誰かっ! 誰か捕まえてくれっ!』 「…………」 ぽとり、と少年の手から林檎が落ちた。芯だけになっていたのは幸いだっただろう。 老婆は未だ笑っていた。その様子は心底楽しそうだ。 「……何アレ……」 呟いた彼の目線の先には、動きにくそうなドレスを着ているにも係わらず、先頭で爆走する少女の姿。 翻すドレスも、走るたびに揺れる金髪も、その顔もとても綺麗だった。 信じられないスピードで屋根の上を走行しているのでなければ、見惚れる程に。 今現在は別の意味で見惚れている訳だが。見惚れているというより呆気に取られている方が正しいだろう。 十歳ほどの少女が成人である兵士からひらりひらりと逃げている。 「誰が手前らになんか捕まるかっ!」 凶悪な笑みを浮かべた少女はその年頃らしい甲高い声で告げる。息一つ乱れてないのは一体どういう訳だろう。 少年は茫然として、広場の端まで来ている兵士と少女を眺めた。 「……まさかと思うけど、あれ、お姫様な訳……?」 「そのまさか、さ」 「……美人の姫さんが居るって聞いてたけど」 「美人だろ?」 「いや……そうだけどさ」 何でもない様に答える老婆に、釈然としない表情の少年。 その間に少女は屋台の樽を足場とし、屋台自体の屋根を踏み付け、民家の屋根へと跳んだ。 その跳躍力と身の軽さに思わず眩暈まで覚えた。 平然とした顔で爆走を続ける少女とは対照的に、すでに脱落者が出ているらしい兵士。 いくら何でも、鍛えている兵士が、たかだか十歳程度の少女に追いつけないのは問題ではなかろうか。 ──いや、十歳程度の少女が、屋根の上を文字通り爆走していると言うのがまず問題なのか。 「誰か手伝ってくれっ!」 でもありゃ無理だろ。この間、ミライルが挑戦したらしい。俺もやってみるかな。 少年の左右で、背後で、集まった人々の口から様々な言葉が呟かれる。 兵士の上げた悲鳴に数名が少女の方へと走り出した。 こちらは兵士の切羽詰った顔とは違い、どこか楽しげであるがそれは自分の仕事では無いからだろう。 やっと我に返った様に、少年も老婆の方を振り返る。 「捕まえると、賞金が出るらしいよ、ぼうや。……ちょっと無理かねぇ」 時折兵士たちを笑いながら走る少女に向ける目は、それこそやんちゃな孫に向ける様な眼差し。 老婆と少女の間で往復していた少年の視線がぴたりと止まり、林檎の籠の隣に鞄を置いた。 「──お婆さん、俺の荷物、ちょっと預かっといてくれない?」 「やるのかい? 手強いよー。今の所、追い付けるのは教育係のユーリアーノス様だけさね。まあ、王女様が出て来たって事は、今日は居ないんだろうねぇ」 「……何者だ、その人」 少女のスピードを見ると、それに追いつくという教育係に対して一種畏怖にも似た尊敬の念も抱く。 そんな事をしている間にも、少女はすぐ近くまで迫っていた。 あれが王女だというのはさすがにすぐに納得できそうには無いが、納得せずとも捕獲は出来る。 鞄を押し付け、走り出そうとした少年に老婆が慌てて尋ねる。 「あ、アンタ、名前は!?」 一度振り向いて、少年は叫んだ。 「ベリー! ベリデアッツ・ファンク!」 ……その名前を聞いて、老婆が再び首を傾げたというのは──また、別の話。 ともかく、少年── ベリーは、王女を捕まえる為に走り出した。 |