(いずれ来る別れの日に君は何を思うのだろうか) ランプの光が赤く揺れる。 今日も今日とて、前に座った飼い犬は無心に夕飯を貪っていた。 「よく食べるね」 「生きてますから」 わざとらしい皮肉を交えた言葉は、同じような皮肉で返される。 ヴィルモアは小さく眉根を寄せた。 長い黒髪を持った犬は、テーブルに片腕で頬杖をついたヴィルモアに視線を送りもしないので、気付かなかったことだろう。 それは別に構わない。 今更この相手に行儀がどうのと説いたところで、無駄以外の何物でもなく、説いて素直に実行されても気持ち悪い。 ただ気になったのは、相手の言葉、そのもの。 「……『生きてる』ね」 「はい?」 呟いた台詞に、ようやく食欲が落ち着いたらしいラティーシャが顔を上げる。 自分が先刻言ったばかりの言葉を忘れるほどには馬鹿ではない──はずだから、意味が分からない程度に馬鹿なのだろう。 未だ眉根が寄ったままで、ヴィルモアは赤い瞳を彼女に向けた。 「ねえラティ犬、君も死ぬんだよね」 「いきなり自然の摂理を突きつけないでくれますか。そりゃ死ぬに決まってますけれども」 ラティーシャは怯む様子も無く即答する。 その瞳は、『何を分かり切ったことを聞いているんですかああ今晩は血飲んでないから頭働かないんですか』と雄弁に物語っていた。……一部ヴィルモアの考え過ぎかも知れないが、少なくとも似た風に考えているには違いない。 それでヴィルモアは先程の言葉を少々後悔したが、口は次の言葉を勝手に吐き出していた。 「後何年?」 「聞かないで下さいよ私が知る訳無いじゃないですか」 「ほら、野生の勘とかで」 「無茶言わないで下さい。分かりたくもないですそんなの」 「そういうもの?」 「ま、少なくてもヴィルよりは先でしょう」 「……そうだよね」 「というか若い身空に唐突に憂鬱になる話をしないで下さいよ」 不満そうに彼女は持ったフォークの端を揺らす。 その銀色の煌めきを視界の端に、ヴィルモアは考えを巡らせた。 確かにラティーシャはまだ若いが、生きている以上は老いは止められない。 それ以上に、病気や事故、事件まで、生物が命を落とす可能性など上げたら限りないのだ。 ヴィルモアはアンデッド。 老化の腕は彼らを掴むことはない。 病は彼らの横を素通りする。 死神すらも彼らを無視する。 存在を揺るがす唯一の例外は、他者から与えられる滅びのみ。 それとて、アンデッドロードたるヴァンパイアに与えられる者が、果たしてどれだけいるものか。 決定的に在り方が違う。 「ねぇ、ラティ犬」 「今度は何ですか」 「死んだらどうして欲しい?」 「はぁ?」 今度こそ理解出来ないことを聞かれた、という様な声を出すラティーシャに、ヴィルモアは肩を竦めた。 指を一本立てて、相手の目前に突き出す。 そのままもう少し伸ばせば触れられるのだが、それはしない。 「埋めて欲しい? 燃やして欲しい? 海に流して欲しい? 獣に食べさせて欲しい?」 「もしかして遠回しに『死に方くらいは選ばせてやろう』とかそういうやつですか?」 「君を殺しても僕には別に利益ないよね。疲れるだけだから嫌だよ」 「疲労程度で左右されてるんですか私の生命」 「重要なことを左右するのって、結構何でも小さな事だったりするよね」 「正論っぽいことを語らないでくれますか」 「真実だよ」 ずれてきた会話に、溜息を吐いて手を引いた。 視線をラティーシャから逸らして、ランプの炎に向ける。 小さく、それでも確かに燃え盛る炎に我知らずヴィルモアは目を細めた。 「ああ、それとも──僕が仮初の命でもあげようか」 付け足した言葉に知らず口の端が歪む。笑みか何か、分からない。 さすがに同類にまでは出来ないが、生ける死者の列に人間一人加える程度は造作ない。 自分にもラティーシャにも見えない表情を浮かべながら、ヴィルモアは言葉を続けた。 「試したことはないけど、生きてる時と変わらずに動く程度は出来ると思うよ。ゾンビやスケルトンよりはマシな外見も保てるだろうし」 ラティーシャの返事は無い。 ヴィルモアは頓着せずに首を振った。 「何より、僕が滅びを命じるか──万一、滅ぼされるかするまで、存在し続けることが出来る」 どうかな、と呟いた言葉は、誰もいない方向に向けて響いた。 沈黙は短かった。 「……何の冗談ですか」 ラティーシャが呆れた様子で溜息を吐く。 まだランプの方を向いているので、ヴィルモアにその顔は見えない。 彼女は口調を変えずに重ねた。 「私は確かに生き汚いといえば生き汚い部類に入ると思いますが……」 僅かの間。 別に言いよどんだ訳ではなく、茶を啜っただけの様子。 「それでも、存在全部、人に寄り掛かってまで、在り続けたいとは思いません」 「…………」 「──だから、そうですね、死んだら、埋めるなり燃やすなり、好きに処理して下さいな。面倒かけますが、さすがに自分の死体の片付けまではどう考えても出来ないと思うんで」 ヴィルモアは緩く顔をラティーシャに向ける。 いつの間にか食後の茶に入っている彼女の表情には、無理や偽りはなかった。 死を真に目前としたことのない人間の虚勢なのかもしれない。 実際に寄り来る死の足音を聞きつけたら、心は変わるかもしれない。 人の心など移ろいやすい。 しかし、ラティーシャがその態度を崩す様子は、少なくとも今は見えなかった。 それに奇妙な安堵と苦痛を感じたことを誤魔化すように、ヴィルモアは彼女の頭に手を伸ばして乱暴に髪を乱す。 大袈裟に顔をしかめてラティーシャは頭を引いた。 「ちょっと、痛いですよ何するんですか」 「……いや、想像してみたら本当に面倒だなぁと思ったから、今のうちに発散しておこうと思って」 「未来の出来事で今復讐って変じゃないですか」 「実に先を見通した行為だと思わない?」 「物は言いようですね。しかしよく考えてみると、死人に埋葬される死人ってかなり奇妙な光景な気がします」 「見方によっては喜劇だね。ああ、鳥か何かの骨も一緒に埋めてあげる?」 「どうせなら身もお願いします」 「死んでからまで食べる気なの?」 「気分だけでも」 開き直ったのか堂々とした台詞を返したラティーシャは、そこで茶器に入れておいた湯が切れたのに気付いたらしく、ちょっとお湯沸かしてきます、とテーブルを立った。 足音が遠くなり、部屋の声は途絶える。 一人になったヴィルモアは天井を仰いだ。 「──そうか、君はそれでいいか」 その日は備えようが備えまいがやって来る。 確実に来る別れの後、訪れるだろう静かな日々を想像するため、ヴィルモアは沈黙の支配する部屋で目を閉じた。 |