ヴィルとラティ <3>




教会からは祈りの文句を述べていると思わしき声がほんの少しだけ漏れている。
その前で、私は今から裁かれる人みたいな気分で目の前の相手の様子を窺っていた。
黒髪青目に銀縁眼鏡。着ているのがしっかりとした旅着というのは私と同じだが、間違いなく相手の方が質が良い。

「久しいな。単独行動中か?」
「いえ、まあ、その……イーサクロスもお元気そうで」

曖昧に誤魔化しつつも笑顔は絶やさない私は博愛主義者。
ごめんなさい嘘です自分一番です。
露骨に嫌な顔なんてしたら、この元先輩がどんな態度に出るか知っているからこそ適当に人当たりのいい感じに返しているだけだ。
先輩とは言っても、結局知り合って半年くらいで関係が切れたので、あくまでも『元』である。
関係が切れた理由は、この相手がもっと上位の仕事を受け持つようになったためだ。
……実際は切れてないけど。ほらこんな風に。
ついでに言うと、表向きだけでも切れたときに私は結構喜んだ。
薄情というなかれ。喜んだ理由は多分誰でもすぐに分かる。

「元気? それは勿論、自己管理程度できなくてどうするんだ」
「はあ、そうですけど……」
「『そうですけど』なんだ? 言葉は簡潔にまとめろ、ラティーシャ=フォルゼン。脳が腐ったアンデッド共じゃあるまいし」

引きつった笑顔を浮かべながらもじりじり下がる私の様子なんかこれっぽっちも気にした様子はなくイーサクロスは距離を詰めた。
ヴィルモアの鮮血の色とは違う、冬空を切り取った青が私を見下ろす。
言葉を簡潔にまとめるとすると、『うっわ冷たい視線』ということだ。意訳万歳。

「……そうですけれど、久しぶりに出会った相手に告げる言葉としては適当かと思いまして」
「そう返せるのならばお前も壮健なのだろう。頭を使わない人間は大抵体が丈夫らしいしな」

唇の端が吊り上げられ、明らかな嘲りを交えた笑みが浮かべられる。
うーわー。ひっさびさにあってもぜんぜんかわってねぇこいつー。
一瞬、脳内に幼児の書いたような下手くそな絵で、自分がこの相手を刺す場面がほのぼのしたタッチで描かれた。
引かないで下さい。誰にだって「こいつ殺したい」と衝動的に思うことはあるはずなんです。
特にこういう自分以外の相手全部見下して会話するようなイーサクロスとかいう人種に対しては。
あれ個人攻撃になってしまった。

「それで? その頭の中身と同じように平和そうな出で立ちだが、お前は今何をやっているんだ?」
「買い物です」
「見れば分かる。私は馬鹿じゃない。頭の悪いガキみたいに口を開いて教会を眺めていたお前が『今』『何を』しているかと聞いている」

今してるのは間違いなく買い物と散歩なんですけどー。見て分からないんですかー。
ノドを越えて舌先にまで出てきかけた嫌味純度百パーセントの言葉を慌てて飲み込んだ。
危ない危ないそんなこと迂闊に言ったらさっきの百倍くらい馬鹿にされる。
機嫌を伺うように下から眺めても、冷え冷えとした視線は変わる事はない。
というか、イーサクロスが誰かあるいは何かを温かい視線で見るという衝撃的瞬間を目撃した事は未だかつてない。
生温い嘲笑を含んだ視線はしょっちゅう見た。
何だこのテーブルに置かれて一時間経ったスープ野郎。
心中でいくら罵ろうが表情に出ない私は世渡りに優れてるんじゃないだろうか。

「今は特に」
「何もないんだろうな。どうせお前の事だ、ロクな仕事も回っては来ないだろう?」
「…………」
「図星か? ──まあいい。お前がここで何をしているかは知らんし興味も無いが、私の仕事の邪魔にはならないようにしろ」
「へ?」

とりあえず無心でひたすら聞き流していれば満足していなくなるだろ畜生、と思っていたが、最後の言葉に私は頭を上げた。
その様子が間抜けだったのか、イーサクロスの目にまた侮蔑が浮かぶ。
ちょいとあなた、仮にも胸に聖印下げてる聖職者の癖にあからさま過ぎるんじゃないですか。
口に出す気は無いけれど、今度からもし何か不幸に見舞われたら世界と一緒にこの男も呪っておこうとは思った。
いや私の個人的呪いはともかく、何か嫌な予感がしたのだ。
イーサクロスは見下す体勢を変えることなく、今度は嗜虐的な笑みを浮かべる。

「話す義務は無いが、不肖の後輩に教えてやろう。今度の仕事はヴァンパイア討伐だ」
「……ヴァン、パイア」
「そう。あの忌々しい冥府から蘇ったゴミの掃除だよ」
「掃除……」

目を細めるイーサクロスはひとまず置いて、言葉を舌の上で転がす。
あ、神様神様、とても嫌な予感がします。
さっき不謹慎な事思った罰ですか。謝るんで止めてくれませんか。
イーサクロスの着ている旅着の輪郭がちょっとぼやけた。
さっきこの相手と対峙したときとはまた違う汗が背を伝う。

「そ、それって、この近くだったりは──しませんよね?」

落ち着け、まだ決まってない。
ヴァンパイアは決して多くはないが、それでも非常に貴重、というほどでもない。
もし違っていたとしたら、イーサクロスに何かの情報を漏らしてしまうのはまずい。
砂糖と塩を混ぜたのを一樽分一気飲みするくらいにまずすぎる。
……想像したらそれだけでむせそうだった。すごくノドが痛くなりそうだ。じゃなくて。
私は告げられた仕事の大きさに怯えたふりをして上目遣いに相手を見上げる。
媚を売っているように見えるらしいこの仕草は、イーサクロスのお気に入りなのを私は知っている。
案の定、彼は機嫌を良くしたようで、笑みが優越感を伴って深くなった。何だかんだいって単純だ。
赤い、生ある唇が楽しげに告げた。

「この先の森の奥にある城に潜んでいるらしいな──紅の髪の男の形をしたゴミが」

教会からの声が大きくなった。神を讃える歌の合唱だ。
何だ神様まで嫌味になりやがったのか畜生。
ともかく大当たり。私の直感は結構馬鹿にしたもんではないらしい。
いや、言ったらまた野生の勘だとか馬鹿にされるのかもしれないが。
黙り込んだ私の様子を、恐怖に捕らわれたからだと受け取ったらしいイーサクロスは得意げに言葉を続ける。

「教会に正式な依頼は出ていないが、たまたま町外れに住んでいた農夫の話を聞いてね。『夜になると、森の方から蝙蝠が一匹だけ飛んで来る』とな」
「……でも、それだけじゃあ」
「話は最後まで聞け。早とちりは寿命を縮めると教えたはずだが? その農夫は何の気なしに蝙蝠の行く先へとついていったそうだ。その結果──『蝙蝠は、人間になって町中に入っていった』そうだ」
「…………そんなのただの蝙蝠……じゃあ……無いですねぇ」
「馬鹿か。人間に化ける蝙蝠が繁殖してたまるか。……愚か者は好奇心だけ強いらしいが、この場合は役に立ったようだな」

余計な好奇心発動させやがって。
私は見も知らぬ相手に向けて思い切り心の中で叫んだが、好奇心については自分も多分に持ち合わせているのであんまり人のことは言えない。ついでに簡単に正体見られてるんじゃねぇよヴィル。おっと本音漏らしすぎた。
イーサクロスは眼鏡を押し上げる。陽光がそれに反射して私は眩しさに目を細めた。

「もっともそれだけでは狂言か或いは戯言の可能性も捨てきれないので、調査も行った」

聞き流しておけよあんたも。ああ無理か地獄耳ですものね。
鳥の声と僅かに聞こえる町のざわめき。遠い音。近い声。

「結果、ここ数日で外見と棲家を調べ上げるに至った。夜にあの血に餓えたケダモノに攻撃する愚行は犯していないから、対面はまだだがね」

そうして無駄なまでに有能なこの男に悪態。
有能な事は無駄ではないが、時折そんなことを思いたくなるときもある。
イーサクロスはそこでふと表情を変えて腕を組んだ。何かに気付いたかのように。
冷たい瞳が私を見据える。嫌な予感の再来。またお会いしましたね嬉しくないけど。

「そういえば近頃、森の方から見慣れない女がよく買い物に来るという話も聞いたが──」
「ええとすいません私もう戻りますね余計なお時間取らせてすみませんでしたそれでは」
「待て」

本格的にまずいですこれ。
咄嗟に可能な限りの早口で別れを告げて立ち去ろうとした私だが、その背に声が叩き付けられる。
声だけじゃなく、肩まで乱暴に掴まれた。くそう、乱暴者に天誅を与えたまえ。
振り払って逃げようかとも思ったが、どうあってもイーサクロスの方が足が速い事実は変えられない。
それに何より、肩を掴んだ手の強さがそれを許してくれそうに無かった。
痛い痛い指食い込んでるって。
出そうになった溜息を押し止めて振り返ると、そこにはイーサクロスの笑顔。

「……役に立たない立たないと思っていたが、少しはまともに動けるようになった様だな?」
「いえ、あの、私」
「何だ? 自分一人でやりたいとか言い出すのではあるまい? ──幾らお前の頭の天秤がイカレていようが、私とお前、どちらが『仕事』を行った方が効率がいいかの判断は下せるだろう?」

畳み掛けるような彼の口調は、そもそも口を挟む事すら許していない。
自分のいうことを相手が聞くのは当然だと思っている。
出自までは知らないが、絶対こいつ教会に入るまではわがまま放題のボンボンだったと私は推測。
……最も、剪滅隊に出自は関係ないのだけれども。
関係あるのは、そう。

「順当な役割分担と行こうじゃないか、ラティーシャ。お前は情報を私に寄越し、手引きをしろ。……神の御意思に添い、墓場から未練がましくも帰ってきたゴミを消す為の、な」

実力である。
ヴァンパイアと同じく、強い者が生き残るのだ。
聖印を片手に教会の前で告げるイーサクロスは強者。
それを拒否する権限を持たない私は弱者。
強者の彼は、傍から見たら天使のようにも思える笑顔を浮かべていた。
中身と外見が釣りあうとは限らない、という好例である。
それを見ながら私は、生き方として進む方向は全く違うとしても、イーサクロスとヴィルモアの性格の方向性は同じなんじゃなかろうか、とぼんやり思った。
つまりどっちを相手にしても、私は報われないという事だ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ラティ犬ー」

長い廊下にヴィルモアの声が響く。
しかし壁に掛かった肖像画は勿論返事を返したりはしない。
幾ら不死者が家の主だからといっても、家具まで怪奇現象を起こさねばならないという決まりは無いのだ。有っても困る。
そうだとしたら肖像画同士は会話を交わさねばならないし、壁に誰かの足跡がつき、夜毎に何かの啜り泣きが聞こえなければなるまい。
しかし、どうせ誰も訪れる事の無い城でそんな演出を施したところで見るのは住人だけだ。ヴィルモアは勿論のこと、ラティーシャだって怖がるまい。むしろ足跡などがついたら掃除が面倒だと言い出しそうだ。全く持って無意味どころか悪影響ですらある。
年月を経て色褪せたじゅうたんの上を歩きながら、彼は首を傾げた。
今日はたまたま早く起きたとはいえ、既に日は沈んでいる。
この間、道で拾った新しい同居人──犬扱いだが──は、昼間出かけることはあっても、日没までには戻って来るのが常だった。
一緒に暮らし始めて一ヶ月も経っていないが、初めての事。

「まさかまたどっかで迷ってるとか行き倒れてるとかないよね」

冗談交じりで呟いたつもりが、随分と真実味を帯びている仮説の様に思えた。
ラティーシャに言ったら馬鹿にしている、と返ってくるだろうが、実際行き倒れていた相手に告げる言葉としては実に的確ではないだろうか。
探しに行くべきか、それとも帰巣本能を信じてみるべきか。
本気でそう考えている辺り、ヴィルモアにとってのラティーシャの位置付けが知れる。
一部、壁紙の剥がれている壁に寄りかかって彼は考えていたが、少しして、あ、と声を上げた。

「そういや部屋見てないや。寝てるのかな」

人間が眠るにしてはまだ早い時間帯だが、夜に活動時間を置くヴィルモアに合わせているのかラティーシャのそれは些か不規則だ。
一度、私の健康のためにお天道様の下で朗らかに働けとは言いませんが夕日に向かって走り出す気概を持ってみませんかとか訳の分からない事を言われたのだが、それは全く持ってどうでもいいことだった。
そもそも夕日の光だって陽光には変わりないのだからヴァンパイアにとっては苦痛である。
滅びるか滅びないかは浴びた当事者の力量にかかっているが、試してみようと思うほどヴィルモアは被虐趣味ではない。ついでにどうしてラティーシャの健康のために命と言うか存在を危険に晒さねばならないのかも疑問だ。

「……それより前に、あれ、体壊したりするの?」

ガタンと何かが落ちる音がしたが、別に言われた本人が帰ってきたわけではない。
ただたんに城に紛れ込んでいた小邪妖精(インプ)が花瓶を倒しただけの話だ。
ヴィルモアは隠れようとするそれを片手で無造作に掴んで窓の外に投げ捨ててから考えてみる。
例えばさっきのインプは最下級ながらも魔に属するものなので、体調を崩すということはありえない。
しかしラティーシャは外見的には人間──中身も人間だが、行動はあまりそれらしくない──であるから、体の具合を悪くする事はありえるわけだ。人間は脆い。元は人間の者もいるが、不死者と化したヴァンパイアなどから見れば脆い事この上ない。
そう考えると、ラティーシャだって体調を崩せば命の危険性があるわけだ。
彼女も生活リズムを崩す事によって、自分の命を危険に晒しているのである。
だから自分の命のために、ヴィルモアに向けて危険を覚悟で日光を浴びてくれと言うのは自分勝手ではあるが、まあ理には適っている。
しかしそう考えてもなお、彼は拒絶する。何故か。

「僕だって自分が一番だしね」

簡潔だ。
綺麗にまとまった。
ここまで色々考えておいて結局出た結論は「今まで通りに起きて問題ないや」なのだから時間の無駄だったかも知れない。
滅ぼされない限り終わりのないヴィルモアにとっては時間はさして重要でもないからいいのだが。
それに、ラティーシャの部屋に向かうまでの暇潰しにはなった。
年代物の古い扉をノックする。
以前その行動を行ったとき、ヴィルモアは部屋の主に、意外と紳士ですねなどとやはり訳の分からない事を言われた。
無遠慮に扉を開いて入って来るタイプだとでも思っていたのだろうか。心外だ、と彼は思う。
ノックに返事は無い。
ドアノブに手を掛けると呆気なく開く。当然だ、この扉には鍵が無い。

「ラティ犬、いないの?」

声を掛けながら隙間から覗いてみるが、部屋の中は真っ暗だった。人の気配も無い。
やはりまだ出掛けているのか──と扉を閉めようとしたとき、その隙間からちょろちょろとインプが入り込んだ。
まだ残っていたのか。
居場所を宣伝する気は無いので押さえてはいるのだが、それでもヴィルモアの放つ「気」はこの類の者にとって居心地が良いらしい。森にあるという条件も相俟って、しばしばこの様な連中が入り込んでくる。しかし、悪戯ばかりされてもうっとおしいのでその度に追い出していた。
あれが部屋の中に悪戯をしたからといって自分が文句を言われることはないだろうが、それでもやっぱり放っておくのは何なのでヴィルモアは閉めかけた扉を開いて足を踏み出した。
勝手に入ったと怒られるだろうか。いや怒らないだろう。ラティーシャはそういったことをあまり気にしないように思える。図太いし。
足の裏の大きさの半分ほどしかない邪妖精が走り回るのを、彼は部屋の中心辺りで捕まえた。
キーキーとネズミの様な声で喚くそれに向け、溜息と共に語り掛ける。

「言っても分からないんだろうけどさ、住むなら城の外に──」

唐突に言葉が止まった。
彼の視線は、鏡台へと向いている。
片手にインプを握ったまま、ヴィルモアは足早にそちらへと近付いた。鏡に姿の映らない不死者にとって、それは不要なものだったのだが──。
ヴィルモアの興味は、鏡へ向いていたのではなかった。

「………………」

静かに、静かに彼はそれを見下ろす。
ナイフと、透明な液体の入った小瓶が並んで鎮座していた。
この部屋に元々あったものではないから、新しい部屋の主のものだろう。
無言のまま、ヴィルモアはナイフに手を伸ばす。
しゅう、と何かが焼ける音がした。
聖印を模しただけではなく、ご丁寧に教会で浄禍(リリティク)まで受けている様だ、とヴィルモアは焼けた指先を引いて無感動に呟く。
死は禍事とされる。
不死者であるヴァンパイアは死をまとう。
ゆえに、禍事を浄化する力を与えられた道具は、不死者にとっては有効な凶器となる。
次に視線を小瓶に移し、彼はその蓋を片手で開けた。
自分の手に掛からないようにしながら、いまだ喚いている邪妖精に振り掛ける。

「ッギィイイイイイ!」

先程までのネズミの声とは掛け離れた断末魔の悲鳴が上がり、ヴィルモアの手に掛かっていた僅かな重みが消えた。
インプや通常の妖精などは、ある意味ゴーストと同類の精神生命体である。
邪気によって生み出されるインプなどは、その邪気を払ってしまう聖なるものに致命的に弱い。
と、すると、この中身も聖水と考えていいだろう。

「………………」

インプの喚き声も消え、室内は沈黙だけが支配する。
ヴィルモアは今度は両手で蓋を閉め、それを元の場所に戻した。
両手を鏡台について、鏡を見る。
鏡は何も映していない。
──彼はもう、自分が何年「在った」かはよく覚えていない。
しかし、今の状態で笑えるほどに長い期間を経たのではなかったのだな、と思う。
ヴィルモアの表情は、彼本人を含めて、誰にも見られることは無かった。





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