生者と死者は共に歌い 前編 「そういえばヴィル、前に『流暢に喋るゾンビを見た事がある』って言ってましたよね」 「うん? ああ、一回だけね。話し掛けた訳じゃないけど」 「話し掛けたんじゃないのに何で分かったんですか?」 「多分、側にいたのが主人──死人使いだったんだと思うけど、それと喋ってたから」 「アンデッドに喋らせるのって難しいですよね?」 「僕らヴァンパイアとかなら普通に会話出来るけどね。低級アンデッドだと難しいんじゃないの」 「ヴァンパイアって皆性格悪かったりするんですかって事は置いといて、それじゃあその死人使いはだいぶ能力が強かったって事ですか」 「置かないでよ、こんな性格のいいヴァンパイアを目の前にして何言ってるのラティ犬は。で、まあそうなるだろうね」 「何か聞こえましたが聞こえません。……で、私、前に喋るスケルトン見たことあるんですよ。二年位前だったかな」 「──骨? ゾンビならともかく、スケルトン?」 「ええ、しかも主人の死人使いよりも口が回って立場強そうで」 「それある意味失敗してるよね術的に」 「まあでもうまく行ってたみたいですし、それで良いんじゃないでしょうか」 「そうだよね、僕だってラティ犬に寛容な精神で向かってるもんね」 「今、物凄い見下しましたね」 「うん」 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 「本気で見えないよあの眼鏡。体力的に劣る相手に気遣いもなしですかいや期待してなかったけど」 周囲に木々が茂る中、私が思わず独り言を口走ったとしても誰も咎めようがなかったはずだ。何しろ人がいなかった。 わざわざ好き好んで人のいない森に立ち尽くす人はあまりいないと思うので、私のこの状況も好き好んでなったわけではないという事を理解していただけると思う。 黒の髪を求めようとしたけれど、見えるのは枝の茶色と無慈悲に広がる緑。 何でこうなったかといえば性格の悪い先輩のせいだ。 私はアンデッドと悪魔の全滅に心血を注ぐ聖アリーゼ剪滅隊に籍を置いている。が、まだ日が浅い。 以前からの実績がある人間ならばそれでも良いのだろうが、実績どころかロクな経験もない。 まず剪滅隊に抜擢された事からして、偶然に偶然が重なり合ったまぐれの果ての出来事なのだから、私自身驚いた。 もっとも、偶然だろうがまぐれだろうが、入隊した事は事実。 しかし、教会の方もそんな隊員に単独任務を与えるほどに馬鹿もとい不用意ではないらしく、私は既に実績を幾つか上げている隊員と組む事を命ぜられたのだ。 その隊員が、眼鏡こと性格の悪い先輩、イーサクロスだった訳なのだが。 「置いていきますか普通」 一言で説明できるような事をされた。置いていかれたは置いていかれたとしか説明できない。 あるいは置き去り。一緒だ。 初対面の時からして、『馬鹿そうな面をしているが、私の邪魔をする位なら死ね』と、私の目を真っ直ぐに見て言いやがりましたあの先輩に思いやりとかそういうのを求めるのは無駄だという事は短い時間でも理解できた。 理解するのとそれでも期待するという事は相反しない。 だが期待は間違いなく裏切られる。 大体、普通の道を歩いていたら迷うわけもないのだ。 幾ら何でも道沿いに歩く事くらい、子供だって出来る。道を歩いていてそれから外れて迷うなんざ、ある意味神がかり的な方向音痴だ。 森に入り込む理由。そう、例えば、性格の悪い先輩が『忌々しい気配がする。探すぞ。遅れるな』とか行って突き進んだりする事がなければ。 私には分からない感覚なのだが、イーサクロスはアンデッドや悪魔──魔的なものを察知する能力に長けているらしい。 性格が悪かろうがなんだろうが能力的には非常に優秀なのだ。あの先輩は。 そんな能力は私にはないので反応のしようがないのだが、彼にいわせれば鈍感にも程があるということだ。 人の心の機微に絶望的なまでに鈍感というか無神経な人間に、そんな事をいわれた私の心中を察して下さい。 ともかくそんな訳で後に続いた私だが、彼は足が速かった。 私が森の中を歩くのに慣れていないせいもあるのだろうが、その差は段々広がっていき、そして結局小さく見えていた黒すら消失。 戻るにも、私の懸命な努力はだいぶ奥までイーサクロスを追うことに専念していたらしく、道がさっぱり見えてこない。 考えてみれば、途中で方向を変えたりしていたのだから真っ直ぐに戻っても道には帰れないのが普通。下手すると更に奥に迷い込む。 この場合、一般的に適切なのは、救助が来るまでその場所を動かない事だろう。 わざわざ『一般的に』と付け加えたのは、救助の頼みであるイーサクロスが探しに来てくれるとは思えなかったからだ。 つまり私には適切ではない。 自力で帰らねばならないわけだが、自力ではどうしようもない。 さあどうしようこの矛盾。 途方に暮れて空を見上げたら鳥が嘲笑うように鳴いて飛び立った。……実はあの鳥、イーサクロスの差し金だったりしないだろうか。 何度も向けられた腹の立つ嘲笑を思い出して近くの茂みを叩く。 「ああもう何でこうなるかなって呟きでもしないと発散できない私の葛藤というか誰かいませんかー」 やけくそ気味に呼んでみるけど、返事なんかありはしない。 獣に出くわす事だけは避けたいが、そういう時に限って出会ったりしてしまうので考えない事にして置こう。 溜息を吐いて私はくるりと体を反転させ、 「おい」 「うわっ!?」 いきなり現れた謎の物体(仮称)に思わず声を上げた。 しかしよく見れば、その物体は人間の形をしていて、おまけに髪の色は、さっきまで追っていた姿と同じ黒。 ……あ、まずい。また嫌味言われる。 「えっと、あ、イーサクロ……あれ?」 「…………」 慌ててフォローしようとしたが、目の前の相手を確認した事でそれを止めた。 無言でこちらを見つめている相手は、確かに男で、黒髪で、青い目だったが──全くの別人だった。 背はひょろ長く、髪も背中の半ばを越えるくらいに長い。何だか全体的に頼りなさそうな男だ。 常に偉そうに見下すイーサクロスと顔は似ても似つかない。 男は耳を押さえていたが、もしかしたら私のさっきの声が響いたのかもしれない。いや乙女の心臓に負担を掛けたのだから私は悪くはない事にしておく。 ともかく、何だかよく分からないが人だ。頼りなさそうだが人だ。 少なくともこの男も迷子である、という場合以外は道を聞けるだろう。そう思った私よりも、男が口を開く方が早かった。 「……お前は何だ?」 「は? 何だ?」 「何者だ」 どこか偉そうな口調の辺りはイーサクロスを彷彿とさせるが、男のそれは傲慢さよりも警戒の方が強い。 相手を見下す楼閣では無く、防衛から作る壁だ。 見知らぬ大人に向かって偉そうな口を利く子供と一緒。 それを悟って、とりあえず素直に現状を述べる事にした。 「えっと、迷ってます」 「迷い込んだだけか?」 「ええ、完璧に迷い込みました」 「そうか。ならいい」 「ちょっと待って下さい」 言うだけ言って踵を返しかけた男のローブをがっしと掴む。 森の中を歩いている奇特な人が二人も三人もいるとは思えないので、ここで逃してたまるものかという精神である。例え相手が怪しそうな人だろうと正体不明だろうと構っている場合ではない。あ、山賊とかの場合は少し構うけど、この外見で山賊だったらちょっと笑う。 完璧に迷い込んで何がいいというのか。 男はやたらと面倒臭そうに振り返った。 「案内していただけませんか」 「何で」 即答は無慈悲。 この男も人に対する優しさが少ない。黒髪青目の男に偏見が生まれても仕方ないんじゃなかろうか。 そんな心を口に出すわけにも行かないので、私は男のローブから手は離さぬまま辛抱強く続けた。 「私、迷って道が分からないんですね」 「道が分かってたら迷わないだろうな。そりゃあ」 「だから誰かに街まで案内して欲しいんです」 「──誰かが見付かるといいな」 「ちょっとだからお願いしますここで死ぬのも眼鏡に嫌味言われるのも嫌なんで」 「眼鏡? ってうわ分かった分かっただからそんなに近寄るなっ!」 さっきと全く同じ流れになりそうだった会話に私が詰め寄ると、男は慌てて体を引く。そこまで嫌がられる顔をしているつもりはなかったので心外である。 それに関してはコメントすることなく、男は私の前で遠慮のない溜息を吐き、 「……ついてこい」 手で前を示すと、先に立って歩き出した。ちょっと失礼だったのは見逃そう。 足はそんなに速くないのか、ついていくのに困る程ではない。 無言で歩くのもなんだと思い、私は男に声をかけた。 「いや、助かります本当。ありがとうございます」 「……迷うくらいなら森に入るな」 「いや好きで入った訳じゃなくて、不可抗力と言うか。ところで何て名前ですか?」 「私の名前を言う必要がどこにあるんだ?」 「社交辞令ですよ気まずい沈黙に長々耐えるよりはいいと思いませんか」 「…………」 私の言葉に何でか男は遠くを見た。素直すぎる返答がまずかったのだろうか。まあ言ったものは戻ってこないので仕方ない。 足に引っ掛かる木の根に注意しながら返答を待っていると、少しの間の後で男は口を開いた。 「──ザカリー」 「ザカリーさんですか。私はラティーシャです。森にお住まいで?」 「ああ」 「お一人?」 「一人のような、そうじゃないような。まあ、どうでもいいだろうそんな事は」 曖昧に濁した男の足が少し速くなった。 そういえば長い黒髪はお揃いだ。後ろから見れば姉妹とかに──は、見えないだろう。ザカリーの背は高い。恐らくイーサクロスよりも高いだろう。いや別に比べる必要はないが。むしろできれば思い出したくもないのだが。 私は首を振って、走ると隣に並ぶ。 「いえ、なんというかザカリーさん肉体派には見えないんで、森で生計を立ててる人にしちゃ頼りないな、って」 「……はっきり物言うな、お前」 微妙に傷付いた顔をされた。ひょっとして頼りない外見なのを気にしているのだろうか。それは悪い事をした。 謝るよりも早く、彼は言葉を続ける。 「別に森の中じゃなければ出来ない仕事じゃないが、人が少ない方が楽だから」 「へぇ?」 何なんですか、と聞こうとした声は途中で止めた。 ザカリーの足が速くなったからだ。どうにも聞かれたくない事を聞かれると態度に出るらしい。とても分かり易い。 イーサクロスも分かり易いは分かり易いが、腹の立つ分かり易さだ。こちらなど可愛いものだろう。 ザカリーはそれ以上の詮索を求めていない様子だったので、私は口を閉じる。 自然と会話は消えた。 周囲には変わらず緑が溢れている。 何で私はこんな所を歩いているんだろうという根本的な疑問さえも頭をもたげかかるが、どうにか押さえつけた。 剪滅隊の存在は、教会では重要な位置を占める。 例えこの先、私が結局どうしようもなくて除隊されたとしても、剪滅隊に在籍経験があるという事は有利にはなっても不利には決してなりえない。 そう考えれば、イーサクロスの嫌味に耐えるのもどうにか……どうにかなる気が、少しだけする。 将来の見通しも後ろ盾もない私にとっては、安定こそが何よりも必要なのだ。 ……こんな状態では先が思いやられるが。 「……もうすぐ入口だ」 「え?」 「街の」 黙った事に少々気を遣ってくれたのか、ザカリーがぼそぼそと告げる。 考え込んでいて咄嗟に理解出来なかった私に、単語だが付け加えて説明もくれる。 不器用ではあるが、悪い人間ではないという見立ては間違っていなかったらしい。 言葉に目を前に向ければ、確かにいつの間にか道に出て、その先には建物が──。 「げ」 そして思わず漏れる声。 建物から下に視線をずらせば、立っている人影が見えた。黒髪の眼鏡。間違いなくイーサクロス。 腕を組んでこちらを見据えていたが、長々待っていた訳ではないだろう。 あれはそんなに気が長くない。 何しろ森に乙女一人平気で置き去りにする男だ。 森から出たばかりなのか、それとも街に一度入ったのかは不明だが、たまたま街の出入り口で私を視界に入れて存在を思い出した。その程度だろう。 で、そうしてわざわざ私を待つ理由は一つしかない。 「遅い到着だな、ラティーシャ=フォルゼン」 微笑んで言われた言葉だが、決して歓迎の響きは持ってはいない。持つはずがない。 青い鋭い目のこの先輩は、天使の様に穏やかに笑う事が出来るがあくまで上辺。そうして上辺は遠慮なく捨てる性質だ。 すぐに微笑の仮面を脱ぎ捨てて、私の方に歩み寄ってくる。 「グズなのは分かっていたが、まさかついて来る事すら出来ないとは驚嘆に値する愚鈍さだな。貴様の足はまともに動かないのか?」 「いやあの」 「しかも何だ、自分一人で道も辿れないのか? 何処で引っ付いたのかは知らんが、他人にまで迷惑をかけるな、我らの名に傷をつける気か」 釈明すら挟む暇さえ与えず、イーサクロスは今度はザカリーに視線を移した。 さすがに私に対するような軽んじた光は無かったが、些かの疑念は抱いている、そんな様子。 わあまずい。無理やり案内させた事とかうっかり言われたら余計に嫌味言われる。 「あのですね、イーサクロス、この人は」 「……ん?」 何よりも先に自分を心配して状況説明をしかけた私だったが、それを無視する形で男二人はほぼ同時に顔を上げた。 へ、と私もつられて顔を上げると、夕暮れになりかけた空に、鳥が──。 ところで唐突だが、骨格標本というものを見た事があるだろうか。 私はちょっと前に、とある魔術具店で見た事があるのだが、動物の骨を元あったように並べて形作ってあるやつだ。 その、骨格標本の鳥が──空を飛んでいた。 あれ、鳥って骨だけでも空飛べるんだっけ。 物凄く間抜けな事を考えていた私を他所に、その鳥骨……骨鳥の方がいいだろうか。は、ザカリーの肩に降りてきた。 骨鳥は、淡い燐光をまとっていて──って、あ。 ようやく私がその正体に気付いて顔を引きつらせた。 これは、恐らく、死人使いの使う術で、骨に魂を憑依させたものだ。 まずい。 まずい。 何がまずいって、そりゃあ全体的に。 ザカリーは特に感慨も無さそうに鳥を見つめ、そろそろ帰れって事か、などと呟いている。 イーサクロスの目が細められた。 私はそれを横目で視界に入れ、若干引きつった笑顔で、どうにか言葉を紡ぐ。 「あの、もしかしてそれ……」 「……うん? 私のとこのもんだが?」 長い黒髪の男は、引きつった私の顔に小さく首を傾げながら肯定する。 肩の骨鳥もかくん、と首を捻った。 細かい所まで同調した動きは、術者の意思に沿っているのだろう。 答えは分かり切っていたが、私はもう一度問いを発する。 「ってことは、もしかしてザカリーさ」 「──滅すべき不浄を扱うとは、忌々しい、汚らわしい腐術師か」 私の声は、舌打ちと共に吐き出された冷えたイーサクロスの声によって遮られた。 この男、どこまでも人の話は遮らないと気が済まない様子だ。 色だけではなく、もはやその奥底まで凍った青い目に、ザカリーの目も細くなる。 イーサクロスの胸元の聖印に気付いたのか、忌諱の響きを持った呟きがぼそりとその唇から漏れた。 「ルミラフェリア神教徒か」 「呪われし術を扱う貴様が軽々しく我らが神の名を口にするな」 「……しかも光に目を潰された狂信者か。わざわざアリアスト勢力圏まで来て布教か? ご苦労な事だな」 雰囲気が一気に険悪になる。 二人が出会う原因となってしまった私としてはこのまま引きつった笑いを浮かべながら立ち去りたいところだが、そうも行かない。 死人使いと熱心なルミラフェリア神教徒は、相容れない。 光神ルミラフェリア。我らが剪滅隊を擁するルミラフェリア神教会が、名を掲げて信仰する神。 その一切を信じ、光のみがこの世界を覆うべきだと信じ、アンデッドや悪魔などの不浄を滅す事が必要不可欠と信じる人々は、ルミラフェリアが光神ということで、先程の様に「目を潰された」と揶揄される事もある。 しかしそれはいいのだ。 私はまあ、正直な話そこまで信じているのではないので、言われてもさして感慨は無い。 問題があるのは、「アンデッドや悪魔などの不浄を滅す事が必要不可欠と信じる人々」に、イーサクロスも入っているという事だ。 当然──滅すべき不浄を呼び起こし、あまつさえ使役する死人使いに、いい印象など持ちえる訳がない。先の様に、彼らにとって死人使いなど忌々しい相手でしかなく、摂理に逆らう反術使いでしかないのだ。 実際今も、イーサクロスの微笑は既に侮蔑を含んだ嘲笑に変わっている。 「全く、我らが真正なる光の見えない盲いた愚者が多くて困る。ここには愚者以下の者も存在する様子だがな」 「見えない視界で、手当たり次第に壊してく連中よりはマシだと思うがね」 ザカリーの方も嫌そうな顔を隠しもしない。 死人使いの方だって、持って生まれた、或いは訓練して得た能力を真っ向から否定するルミラフェリア神教徒には大抵関わりたがらない。 ……普通、初対面の相手にあそこまで言われたら死人使いでなくとも怒るだろうが。 イーサクロスにその辺を期待しても無駄なのだ。自分と違う価値観、能力の相手は徹底的に馬鹿にするのが彼の流儀である。 つまり性格が悪いという一言に尽きる。 イーサクロスの顔を覆っていた嘲笑が消えて、ただ目の冷たい光のみが残った。 彼は手を振って、ザカリーを追い払う仕草をする。 「腐術師。我らが異教者の棲家に来た理由を貴様に話す必要は無い。失せろ」 「──私は宗教屋と戦争屋は嫌いだ。言われずとも消えてやるよ」 一片の温かみも無く放たれた言葉に、ザカリーも眉を上げて吐き捨てると私とイーサクロスに背を向けた。私が口を挟む暇とついでに精神的な隙間はなかった。もう二人の間の嫌悪感とか敵意とかで空間一杯一杯である。 肩の命を失って久しい骨鳥は、それでもこき、と首を回してこちらを振り向いたが、元から小さいその姿はザカリーよりも先に曖昧になる。 ザカリーの姿がすっかり見えなくなるまで、その場には沈黙が落ちて──。 「ラティーシャ?」 「っはいい!?」 鳥肌が立つほど優しい声で話し掛けられた。 声と一致した、天の使いを思わせる微笑の奥で、目が笑ってない。 イーサクロスは、私の肩にぽん、と手を置いた。 「馬鹿か貴様は。いや、馬鹿を通り越して大馬鹿。それ以下だ」 微笑はそのまま、肩に入る力だけが強くなる。 痛い痛い痛い。けどそれを言ったら更に強くなるので、私も引きつった微笑を返す。 傍から見たら、仲の良い男女の談笑なのだろうか。それはそれで嫌だ。 「剪滅隊に名を置きながら、腐術師なんぞの手を借りるとは。どうせならば道の途中で崖からでも突き落としてくれば良かったものを」 「そんな、見ただけで死人使いだなんて分かる訳ないですってそれに一応助けてもらっ」 「百の悪行を一の善行で消せるとでも? むしろ死して御許で永劫に贖罪すべきだろう?」 イーサクロスは小さく首を傾いで、また私の言葉を遮った。 今日で何回目だとか、今までで何回目だとか、そういうのを数えるのももう無駄に思える。 「いや、さすがに自分の恩人にそれは」 「ラティーシャ? 貴様が愚かな事をしでかさなければあの不愉快な、汚らわしい、忌々しい反術使いにも会わずにすんだのだがな?」 「いや、イーサクロスの足が速くて……」 「頭の中身も足りなくて体力まで枯渇しているのか? 役立たずにも程があるとは思わないか? 少しでもまともには働けないのか?」 「…………すみませんでした」 疑問形で罵られる。 もう何を言っても無駄というか、そもそもイーサクロスに自分の意見を通そうと云うのが無茶だった。 私とて、それを悟れる程度には生きているのである。 ぼんやりとザカリーが消えていった道の先へ視線を移しながら、申し訳ない事をしたなぁと思う。 「ラティーシャ、貴様は人の話を聞く時には目を見てしっかり聞けと言われなかったのか?」 「っはい!」 お前は私の話を聞く時に私の顔すら見てないじゃないか、という言葉は、やっぱり喉の奥で消えた。 さあ、嫌味と説教の混じった数時間。 私がどれだけ引きつった笑いを浮かべていられるか、ご覧あれ。 |