一言で言っても二言で言っても結局落ち着くのは「地味」という事実だった。 どれくらい地味かというと、中学校の時のクラスメイトに「組の全員の名前を言えるか?」と聞いたら、大抵最後から四、五番目に出てくるくらい地味だ。 思い出されるのが一番最後ならばもう地味とかその辺りを通り越して完璧に存在感が薄い。 彼はいつも最後から四、五番目程度に出てくるのだ。 それが則夫が地味である由縁である。 別に友達が少ないわけでもなく、そこそこにいた。 しかし彼は地味だった。ひたすらに地味だった。 今も会社に向かう途中だが、則夫の姿は実に地味だ。 黒一色のスーツという訳ではなく、非常に半端な灰色のスーツに、紺色のネクタイ。 当然ワイシャツが赤かったり紫だったりする訳もなく、紳士服売り場で最も多く見かけるような白いワイシャツだ。 そんな彼の姿は近くの高校のブレザー姿の学生たちに紛れて更に地味になる。 則夫は地味だった。 自分で言うのも悲しくなるが、それは確かに認めざるを得ない事実だった。 どれくらい地味かというと、高校の時に友人とファミレスに言った際に「注文全員済んで……あ、ないな」と、言われるくらい地味だ。 完全に忘れ去られる訳ではない。きちんと覚えてもらえている。 しかし最後まで言い切る直前にならないと思い出してもらえない。 それが則夫が地味である証拠である。 話題に付いていけないわけではなく、問題無く話にはのれた。 だけれど何故か則夫は地味だった。 則夫は今は社会人となり一人暮らしをしているが、家の中でも地味だった。 五人兄弟の四番目。三番目の男。実に地味だ。 長兄は勉強にスポーツに実に優秀な成績を誇り実に優秀な銀行員となり、姉は結婚して離婚して再婚してまた離婚して再再婚、次兄はフリーターになって父と衝突して断絶気味、弟は二浪して自殺騒ぎを起こしたりしたものの有名大学に何とか滑り込んだ。 則夫は優秀でもなかったが騒ぎも起こさず、実に目立たない子だった。 公立の高校に入り一流でもないが三流でもないほどほどの大学に入り有名ではないがとことんマイナーな訳でもない企業に就職した。 大喜びさせるわけでもがっかりさせる訳でもなく、そこそこに喜ばれた。 則夫は地味だった。 そんなに言わなくても良いじゃないかと思うくらいに他人からそう評価された。 どれくらい地味かというと、大学の時にサークルの後輩の「則夫先輩って知ってる?」「ああ、あの地味目な先輩」「そうそう」という会話を聞いたくらい地味だ。 「地味目」と評した女の子の後輩に則夫は好意を寄せていたので結構なダメージだった。 本人に悪気は無かったろうし、実際嫌がられているわけでもなさそうだった。 ところが告白したら「よく知らないから……」と断られてしまった。 それは別に則夫が地味である事に関連性は無かったのかも知れない。 週に三日は話す機会があったのによく知られていなかった。 この時ばかりは則夫は派手になりたいと思った。 このように地味という言葉が付き纏っている則夫は少しずつ自分を変えてみる事を決意した。 しかし普通に生きていて地味だと判断されたので、何が悪いのかさっぱり分からなかった。 町中で奇声を上げて目立つのは確実に嫌だった。それはただの変な目で見られる人だ。則夫的には地味より悪い。 だから則夫は社会人になってから毎朝、バスの停車ボタンを押す事に精力を傾けていた。 押した瞬間の一瞬だけ何となく目立てる感じが則夫には新鮮だったのである。 所詮地味は地味から抜け出せないという見本だったかもしれない。 電車通学で駅に近かった則夫はバス利用の機会が殆ど無く、たまに乗って降りる時は大抵誰かに先に押されていたのだ。 もちろんこのバスには則夫以外の同僚や上司も乗っている可能性もあるので、それらの人に負けないようにしなくてはならない。 今日も則夫はコートの袖の中で、手を「一」の数字を指すときの形にして今か今かと待っていた。 『次は、柴原四丁目〜』 来た。 則夫はすかさすボタンを押そうとした。 昨日はこのタイミングで間違いなく押せた。 しかし、則夫より先にボタンを、しかも則夫が押そうとしていたボタンを横から取る形で他の誰かに押されてしまったのだ。 突き出された指の所在がなくなり、則夫は視線を彷徨わせるようにしてボタンを押した手の持ち主まで目を移した。 「おや、おはよう」 それは上司だった。 ぱりっとしたネイビーのスーツの上に茶色のコートを着て、赤に黄色の格子柄のネクタイをしている。 学生の多い中でも上司は全く地味ではなく、仕事に向かうサラリーマンのオーラが充分だった。 則夫が止まったのは一瞬だけで、体の方が先に動いた。 「おはようございます」 「いい挨拶だねえ」 確かこの上司は趣味でスキーをしているとか言っていた。冬なのに若干日に焼けたような色に見えるのは雪焼けのせいだろうか。 そんな上司がまさか挨拶を褒めてくるとは思わなかった。 普段なら挨拶をした後は、「今日は風が強いねぇ」「そうですね、風が無ければもう少し暖かいんでしょうけど」という無難な会話が展開されるのだ。 これはここ最近のボタン押しの効果が現れ始めたのだろうか。 上司は朝から機嫌が良いのか、軽く則夫の肩を叩いてくる。 「ま、まだ仕事に慣れんこともあって大変だろうが、頑張れよ」 「ありがとうございます。課長にそう言っていただけると心強いです」 「何、私は君に期待してるんだよ。中々仕事も出来そうだしな」 更に則夫は心中で目を見開いた。 期待をされているという言葉も、仕事が出来そうだという言葉も始めて聞いた。 これは社交辞令とか単に機嫌のいい上司のリップサービスとかなのだろうか。 則夫がどうにかして真意を探ろうとしたとき、バスは停留所に到着してしまった。 上司は今度は則夫の背を大きく叩くと、知り合いを見つけたのか先にバスから降りていく。 「じゃあ、木更津君、今日も頑張ろうか!」 叩いた方の手も痛いんじゃないかと思う勢いだったが、上司に多分悪気はない。 則夫は運転手に定期を見せながら、痛い背中を擦った。 冷たい風が則夫の頬を撫でて、バスの中の暖かさを嫌でも思い出させる。 しかし則夫は寒さよりも何よりも言いたい事実があった。 「……俺の名前は如月です」 上司の背に向けて呟かれた言葉は多分聞こえなかった事だろう。 如月則夫、入社して半年以上は経過した時期の出来事だった。 停車ボタンを押す行為には何の意味もなかったと悟った則夫は、今日も道を歩く人々に紛れて歩いていった。 その姿はやっぱりどこか地味だった。 |