再三注意された事に対し、冥府の女神の元に送り還すぞ、と怒鳴ったのは弾みだった。 『そうデスか』 返って来た言葉は驚くほどに静か。 普段の様に軽口で返されるかという予想が外れ、何を企んでいるのかと訝しみ様子を窺うが空虚な眼窩からは何も読み取れる訳も無かった。 眉を寄せたザカリーを気に留めた様子もなくレサは続ける。 『ではご主人、その前に、ちょっと来て下サイ』 「……え?」 ついと視線――眼球のないスケルトンの視線というのもおかしな話だが、それを外したレサは先に立って歩き始めた。 意味は分からないがつられて歩き出す。 これではどう見てもこちらが操られてるようなものではないか、と憮然とする前にレサは階段横、上の棚を示した。 『此処にはサクロの薬草が入ってマス。言われた通りに封箱に入れてありマスが、箱は重いので取り出す時には頭などに落とす事がないようにお気を付けて』 「……は?」 『それでこの横デスが、預かり物の腕輪が入ってマス。確か何が憑いてるか調べるのデシたよね?』 「あ、ああ」 『ご依頼された方の名前や所在地は居間に記録してありマス』 白い細い指が指し示す先には、丁寧な文字が記された石板。 すぐにザカリーが色々な事を忘れるので必要事項を刻み続けているのだが、それを記録しているのはその硬い骨の指だ。 何を言っているのか、と思考が追いつく前にまたレサは歩き出す。 書庫の扉を開き、下から四段目の棚を指す。 『一番新しいものはこの棚においてありマス』 「……レ」 『いざという時の符や何かはこの本の覆いの中に隠していマスが、まさか忘れてまセンよね?』 「お、覚えてる」 『ならば構いまセン』 軽く頷くと、怒りなど既に飛んで戸惑うだけのザカリーを置いて次は台所へ。 引き出された道具に、奥の貯蔵庫。 草茶の場所から麦粉の使い方まで淡々とレサは説明を続ける。 『……ご主人、聞いてマスか』 「いや、だからこれは――」 『送り還されるのデショウ?』 「は?」 『私を。仰ったのはご主人デス』 「……え」 言葉を止めたザカリーの前で、レサは姿勢を整えた。 黒い眼窩を真っ直ぐに向け、次いで頭を下げる。 『私はご主人がそう望むのならば、厭いなどしまセン』 「え、あ、いや、あれはだな、レサ」 『デスが、今までこの狭間の存在をお傍に置いて頂いたご恩は少しでもお返ししたかった』 「……あ、」 『まさか覆しはしまセンよね? 使役される身にとって主人の言葉がどれだけ重いかはご主人の方がよくご存知デショウから』 「…………」 発する言葉を無くしたザカリーの前で、スケルトンは道具をしまった。 からりと木製の道具は乾いた音を立て、元の場所に収まる。 『――余計なお時間を取らせてすみまセンでシタ。さあ、ご主人、いつでもどうぞ』 多分、目蓋が残っていたならば閉じていただろう。 そんな口調で、レサは告げ――。 しばらくの間、沈黙。 声を上げたのは、レサが先だった。 先程までの静かな調子から一転し、心底呆れた口調で。 『……ご主人、いい年して何泣いてんデスか……』 「泣、いてるわけあるか! 誰が!」 『いえ、確かに泣いてはいマセンが、涙目……』 指摘された方は慌てて目元を擦るが、微妙に濡れているのは確かに隠しようがない。 おまけに声が若干濁っていた。 フードを深く被ってレサの視線から隠れるようにしたザカリーは手を前に翳す。 「ええい目玉ない癖に見るな!」 『そんな事を言われマシても、実際に私は目で見てるわけではないデスからどうしようも』 「屁理屈を!」 『事実を述べただけで屁理屈と言われたら何も言えマセンよ。それとも嘘をつけと?』 「ああああもう!」 全くいつもの調子になった骨にザカリーは地団太を踏んだが、自分の足が痛いだけだった。 それでもどうにかぎり、と唇を噛んで言葉を重ねる。 「大体なあ、怒ってるなら素直に怒ってると!」 『誰がデスか?』 「お前だお前! どう考えてもあれ怒ってただろ!?」 『まさか』 「そんな意外そうな声こそが嘘じゃないのかそれ!」 『まさか』 「同じ事を全く同じトーンで繰り返された時の苛立ちが分かるか!」 『まさか』 「があああ!?」 とうとう床を転がりだしたザカリーにレサは肩を竦めた。 掃除したばっかりで良かった、などと呟きながらザカリーの服の裾を踏んで止める。 当然ながら遠慮はない。 『あのデスね、ご主人。嘘と仰いまシタが、半分以上は本気デシタよ』 「う、そを」 『嘘と思ってるならばそれでもいいデスが。私は本当デス、と繰り返しマス』 「あんなの、弾みで、」 『弾みで言った、それは間違いないデショウね。ご主人、同じ事何度してマスか?』 「…………」 地面から見上げる術者に、屍は膝を折って諭す口調になった。 差し込む日に直接照らされても、眩しいと目を細めることはない。 『弾みで放った言葉が予想外のことになった状況は? ご主人、一度や二度じゃないデショウ?』 「…………」 『私ならばまだいいデスが、他でも似たような事をしているデショウ?』 黙り込んだのは肯定と同義。 心なしか身を縮めたザカリーに、レサは静かに語り続けた。 『言葉の大切さを知っているのは、ご主人みたいにそれを使い力を動かす方々デショウ。弾みで放った呪い文句が後々悪影響を及ぼした話など、幾つ私に教えて下サイマシタか?』 「……う」 『それで災いを呼び込む先はご主人自身デス。――戦う力を持たない私のみを傍に置くご主人が、咄嗟に対応できマスか?』 「……いや」 『デショウ。言葉も呪いも跳ね返る、と私に仰ったのはご主人、あなたデス。完璧であれ、とは言いまセンが、子供の様に思ったままを吐くのは――宜しくないと思いマスよ』 フードとマントに顔を埋め、死人使いは黙り込んだ。 やれやれと言った雰囲気で首を左右に振ったスケルトンは、両脇に手を入れて立ち上がらせる。 筋肉も無い姿ではあるが、それでも人を持ち上げるくらいは出来るらしい。 掃除したばかりとはいえやはり目立つ埃を叩きながらレサはぼやいた。 『全く、たまにはキツク言わないと分からないんデスか』 「……普段からキツイだろうが、お前は」 『あれでも優しく言っているつもりデスよ? 全くもう』 「っていうかやっぱり怒ってただろ!? 怒ってただろ!」 『言われた事を伝えて当たられたんじゃ、私でも怒りマス。悪いデスか』 「あああったく開き直りやがって……!」 襟元を直す骨の手を振り払った後で、ザカリーはふと目を伏せた。 ぼそりと呟かれた言葉に、レサは首を傾げる。 『……まあ、いいとしマショウ。ただご主人、そういう事こそ大きな声でお願いしマス』 「……二度は言わん!」 大きく床を踏み鳴らして部屋に戻るザカリーの後ろから、どうしてごめんなさいくらい素直に言えないんデスかねェ、と呟くレサの軽い声が追いかけてきたが、気付かない振りを決め込んだ。 |