砂漠の街の死人使い



熱砂の街、テルミージア。
碧天の中で、太陽が猛威を奮う季節。

「…………」

そして生きる屍と化している者が一人。
長い黒の髪は机の上に広がり、青の瞳は虚ろに中空を映す。
彼の名はザカリー。死人使いである。
今は半死体状態、と言った方が正しいかも知れないが、それはともかく。

『ご主人、掃除の邪魔デスヨ』

肩を箒の柄で突かれて、ザカリーは蘇ったかの様に身体を起こした。
絡み付くうっとおしい髪を払い、相手を睨み、

「暑いんだよ、何なんだ此処は!」
『知りまセン。水の月に、湿地帯の近くはじめじめしてて嫌だ、と言って引っ越しを強行したのはご主人デス』
「そうだけれど、こんなに暑いと思うか!?」
『その程度考えて下サイ。脳はあるんデショウ?』
「──……っ!」

反論出来なかったのか、ザカリーは歯噛みした。
それもそのはず。
たった今、彼をやり込めた相手は、白い体、穿たれた眼窩、棒の様な手足──。
つまり、スケルトンだったのだから。

ザカリーが立ち上がったのを見ると、スケルトンはさっさかと机とその周辺を掃いていった。
筋肉はすでに無いというのに、動きは機敏である。

『大体ご主人は、夏になったらやれ暑い、冬になったらやれ寒いだの、当たり前のことで一々騒ぎ過ぎなんデスヨ』
「暑いのは暑いだろ」
『三歳児の言い訳デスカ。もう三十路近くなのに。だからお嫁さんも見付けられないんデショウ』
「──余計なお世話だっ! 誰だこんな憎たらしいの生んだのは!」
『ご主人デス』
「だあっ! うるさいうるさいっ!」

頭を抱えてジタバタ暴れる男の横で、スケルトンは涼しい顔で掃除を続ける。表情はないが、雰囲気が。
しばらく暴れていたザカリーは唐突に止まり、やがてゆるりと起き上がった。

「ふ……ふふ、まあ、それも私の溢れんばかりの才能あってだな」
『そうデスネ。所でご主人、豚に真珠、って言葉はご存じデスカ?』
「どういう意味だっ!?」
『それはさて置いて、暑いなら髪でも切って下サイ』
「嫌だ。これは私のアイデンティティの一つだ」
『髪切った程度で揺らぐ貧弱なアイデンティティしか持ってないんデスカ?』
「この野郎……よく舌の回るっ……!」
『舌はないので回しようがありまセン』

充分回っているが。
ザカリーは発し掛けた言葉をすんでの所で飲み込んだ。
舌戦になれば負けるのは目に見えている。
もっとも、物理的に喋ることが出来ない骨に喋らせ、あまつさえ、通常なら簡単な命令しかこなすことの出来ないはずのスケルトンに、術者を言い負かすだけの知力を持たせている時点で、腕は充分以上に確かなのだろうが──。
それだけの力を持つ者にしては、どうにも威厳や迫力というものが足りないように見える。
必要以上に偉そうな言動で醸し出そうとしているようだが、空回り同然である。
まあ、力と外見が釣り合うとは限らないわけだが。

『あ、そうだご主人。水がそろそろ無くなりマス』

黙り込んだザカリーに向かって、告げるスケルトン。
不機嫌そうな顔を崩さないで、ザカリーはそっぽを向いた。

「だったらレサ、汲んで来い」
『無理デス』
「何で」
『この間私が行った所、うっかり人と出くわして叫ばれちゃいマシたので』

スケルトン──レサは肩を竦める仕草をする。
酷く人間らしい仕草だが、それは元は人間なので当然といえば当然。
ただ骨としては珍しいだけだ。
ふん、とザカリーは鼻を鳴らして椅子の背に持たれかかり、

「スケルトン程度でビビってたらこの先、生きていけん」
『普通は驚くと思いマス。それに私だと、あんまり量持てないデスし。骨折れちゃいマス』
「──……今まではどうやってたんだった?」
『喰人鬼にやらせてたんじゃないデスか』
「だったらそっちにやらせて」
『此処は湿地帯みたいに人がいない訳じゃないから、誰か襲ったら住むのに困る、ってご主人がこの前、自分で眠らせたのを覚えてまセンか? 老化現象開始デスか?』

ザカリーの言葉を遮って言葉を連ねるレサ。
そういえばそうだったような、と暑さで茹っている様な頭を必死で使い思い返す。そして数秒後。

「……って待て。誰が老化だ年寄りだっ!」
『反応が遅いデス。で、水、どうしマス?』

全く悪びれた調子もなく言うレサに多少の殺意。
だけれどもう死んでいる相手に殺意を沸かせてもどうなんだと言う思考が働く。
それ以前に使役している身としてこの立場はなんなのだろうとも考える。
使役しているというよりも、ザカリーが躾けられている気がするのは気のせいではあるまい。
と、そこにレサの一言。

『ご主人、晩御飯のメニューを聞いてるわけじゃないんデスから。それともそれを考えてマシた?』
「考えてないわっ!」
『野菜も食べて下サイ』
「それは今はどうでもいいっ!……新しいの、連れて来るか?」

スケルトンに食生活を注意される人物も稀有だろう。
ともかく、尋ねたザカリーの言葉に、骨はカラカラ首を振った。

『ご主人、この辺りは土葬中心デス』
「だったら何だ?」
『連れて来るとなると、腐乱屍体(ゾンビー)が中心になると思いマス』
「……何か問題が?」

唐突とも思える言葉に眉根を寄せる。
かく、と骨の首が傾げられた。折れそうだ。

『私は構わないんデスガ……暑さの上に、悪臭まで持ち込んで平気なんデスか?』
「………………あ」
『──ご主人、脳だけゾンビーの仲間入りしてまセン?』

手を叩いたザカリーに冷静な一言。

「うるさいっ! 誰が腐り掛けだ脳無しだ陰気だっ!?」
『誰もそこまで言ってまセン』

また暴れ掛けたザカリーだったが、その視線がふと桶へ向かう。
そうだ、と呟くと、水の入った桶を引きずって来た。

『ご主人、汲んでくるなら空じゃないといけないデスよ』
「そこまで馬鹿じゃないわっ! ──ふ、見てろ」
『言われなくても見てマスが』
「屁理屈はいいから見てろっ!」

屁理屈じゃなくて事実デス、と告げるレサは無視して、ザカリーは口内でぶつぶつと呪文を呟く。

遥かな大地よ(ローレス)夢幻の空よ(クータス)揺蕩う時よ(ヴィーアズ)……蘇れ(ザクンドゥ)!」

彼が手を叩くと同時、桶の水が自ら意思を持った様にさざめいて、人の形をして起き上がる。

『おお!』
「ふはははは! この私の力を持ってすれば水に低級霊を憑かせるなんざ、いとも容易いこと!」
『流石ご主人、これで調子に乗らなければ良いんデスが』
「お前はいちいち一言余計だっ!」

ともかく、自分でも出来映えに満足したのか頷くザカリー。
水の人形は、彼の命令を待つ様にじっと立ち尽くしている。

「低級霊ならば、離れた所でもコントロール出来なくなる心配はないな」
『水なら見た目も涼しいデスしね。精霊みたいデスよ』
「ああ……何だか精霊使いみたいだな。不本意だが」
『あれ、ご主人、精霊使いはお嫌いで?』
「ふん、当たり前だ。精霊使いなんて大した事はない」

腕を組んで尊大に返す死人使いに、掃除の手は休めずに骨は問う。
普段から綺麗にされているのか、それ程ごみは出ていない。

『そうデスか? 格好良いと思いマスけど』
「そうやって精霊使いをおだてるから、死人使いは根暗だの陰気だの言い出すのが出てくるんだ。精霊使いだって純粋なのや正直なのばっかりじゃないのに何で俺らばっかりこう陰湿的だとか暗いだとか」
『……ご主人、それって羨んでまセンか。一人称が素に戻ってマス』

トラウマでも有るのか、ぶつぶつ言い出したザカリーに突っ込むレサ。水人形は所在無さ気である。
彼は、はっ、と気を取り直した様に顔を上げ、咳を一つして、

「まあとにかく! これに水汲みに行かせれば万事解決だ!」
『この間に汲みに行っていた方がよっぽど時間の節約だったんじゃないデスか』
「少しは過程を尊べ。結果を見ろ。私を尊敬しろ」
『最後はどうやっても無理な気がしマスが』
「何でだっ!」
『それより水汲みデスよ』
「……っ! いつかお前、右足と左足の大腿骨入れ替えてやる!」

意味の分からない悪態を吐いて、ザカリーは水人形に向き直った。
大腿骨を入れ替えたところで、歩けなくなったレサに文句を言われて直すのがオチだとは思うが。
死人使いは外を指差し、声高らかに告げる。

「さあ、滴り霊(ウォンラウ)よ、桶を持って水を汲んでこい!」

了解した、と言う様に、ウォンラウと名付けられた水人形は頷き、桶を持とうとする。
しかし。
つぷっ、と桶の取っ手は水で出来た手を突き抜けた。

『「…………」』

一瞬凍る室内。
水人形だけはそれに気付かない様子で、何度も掴もうと腕を伸ばしていた。

『……持てないみたいデスよ。ご主人』
「…………っああしまった! そう言えば水だった!」

つぷっ、つぷっ、と取っ手はウォンラウの手を突き抜ける。
命令を守ろうとして何度も繰り返す姿は、滑稽というか哀れと言うか。

『……ご主人』
「くっ、こうなったら……」
『ご主人が行きマス?』
「行かんっ! ──ウォンラウよ、水辺に行って、自分の体に吸水してこい!」

ザカリーの指示に、顔も声もない水人形が安堵した様な雰囲気を見せて頷く。
レサが骨の手をかつん、と叩いて、

『ああ、成る程。戻ってきたら術を解けばいいんデスね』
「ふふ、抜かりは無い」
『行き当たりばったりでも成功するんデスね』
「………………」

否定の言葉が見付からなかったのか、ザカリーはがっくりと項垂れた。
箒を棚に戻しながら、冷静なスケルトンは続ける。

『で、一つ思いまシタが、水の巨人が歩いてたら骨より騒ぎになりまセン?』
「……よくあることだろう」
『よくは無いと思いマス』
「ええいうるさいっ! 騒ぎになったらなっただっ!」
『どうするんデス?』
「実害出さなければ、きっと謝って済むっ!」
『……威勢のいい事言ってそれデスか……』

ぼそりと呟かれた言葉は聞かない振りで、無責任な死人使いはウォンラウより先に扉へ向かう。
扉を開けてやると、ウォンラウがのっそのっそ、と歩いていく様を見送った。
砂の大地を、一歩一歩踏み締めて歩いていく水人形の姿は、段々と小さく、小さくなって──。
離れていないのに小さくなって──。

──やがて、消えた。

「………………」
『………………』

消えた後には、沈黙が残った。

『……砂に染み込んじゃったみたいデスね』
「……そうだな」
『考えてみれば水デスしね』
「……だな」

腕を組んだまま見送っていたその視線を、遠くの空に泳がせてザカリーは相槌を打つ。
レサが静かに空になった桶を差し出した。

『──じゃあ、ご主人、水は日が暮れるまでにお願いしマス』
「…………」
『ご飯作って置きマスんで』
「──畜生ぉぉぉっ!」

気怠い午後に、死人使いの絶叫が木霊する。


熱砂の街、テルミージア。
夏はまだ、始まったばかり。






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