少女と悪魔とアップルパイ







『で、だからナオヤ、とは誰かと。貴様の男か? 父さん許さんぞ』
「何処のドラマ見やがったローリングサンダーチョーップ」
『がふっ!?』

部屋に入って開口一番。
戯けた事を抜かす悪魔の脳天に手刀一発。名前に意味はない。

「だからそう言う余計な言葉は入れなくて良いから、必要な事きちんと入れておいてくれる?
 容量少ないんでしょ?」
『さり気なく失礼な事言わなかったか貴様』
「気のせい気のせい。あ、んで、尚哉ってのは、親戚のお兄ちゃんの事」
『親戚……血族か。ふむ、ならばまあ……』

何やら一人で呟くヴァルク。何を企んでるんだか。

『何も企んでなどおらんっ!』
「だからー、勝手に読むなって」
『強く考えた事しか読めんと言っておろうがっ!』
「読もうと思わなきゃ読めないんでしょ?」
『……まあ、それはさて置き』

あ、誤魔化した。
この知恵はどこから身につけたのだろうか。……元は自分な気がしないでもないが。
ヴァルクはえへん、とばかりに胸を張って、これ以上ないくらい尊大に言い放つ。

『届ける時、俺様も一緒についてやって行っても良いぞ』
「別に来なくていいけど」
『即答すなっ! 折角行ってやろうと言うのに!』
「何で行きたい訳?」
『行きたいではなく、行ってやろうと言うのだ。俺様が居ないと寂しかろう?』
「や、全然」

これまた即答すると、ヴァルクは拗ねた様に部屋の隅を向く。
そんな恨みがましく肩越しに視線送るなお前は。
ぱたぱたと手を振りながら、こっちに呼び戻し。

「あー、もう、仕方ないな、どうせ1キロも無い距離なんだけどさ、それでも良いの?」
『そうか、そんなに寂しいか、よし行ってやろう』
「人の話を聞く脳味噌持ってねー?」

にこやかに告げるも、この悪魔はそれすら聞いちゃいない。
偉そうに腕を組み、ふん、と鼻を鳴らす。

『そいつが貴様にふさわしいか、この目で確かめてやろう!』
「……あんた、昨日何観たの?」
『うむ、【父娘のすれ違いから生まれた悲劇! 私があの時認めていれば娘は……。
 父の嘆きと冬の夜の血の香り、八百屋探偵その15】だ』
「火サスかよ」

裏拳で突っ込み。段々堂に入っているのがかなしきかな。
しかもその題名からすると、娘って死ぬ役かよ。

「まあ、良いけどさ……余計な事はしないでよ?」
『俺様の一挙手一投足に余計な事などあるものか』
「余計ばっかりじゃん」
『むがー!』
「真由ー、早速だけど、出来立て届けてくれるー?」
「はーい」

きいきいと暴れているヴァルクはさておき、私はコートを羽織ったのだった。





アパートの一室。ぴんぽーん、と、独創性のないベル音。
まあ、あんまり奇抜すぎる独創性があっても困るので、これでいいんだろう。
しばらくの間。反応無し。

「……いないのかな?」
『いや、室内に気配はあるぞ』

私はパイの入った箱を持ったまま、ふわふわ傍に浮いているヴァルクを見上げ。

「へー、そんな事判るんだ」
『ふ、見直したか』
「三グラムくらいはね」
『何だその単位っ!?』

何って、重さだが。
答えようとした時、ドアの奥から足音。
全く急いでいる様子が見受けられないのが彼らしいというか。

「……誰……」

ドアに寄り掛かるようにして顔を出したのは、黒髪の青年。尚哉兄ちゃんだ。
灰色っぽい目を、ぼんやりと彷徨わせて。

「あ、こんちわー。母さんが、パイ作ったからどうぞって」
「ああ……真由ちゃん……」
「……寝てました?」
「……少し……」

何をやっているのかさっぱり判らないこの兄ちゃん。
私から見ればやたらめったに謎な人である。
この時勢だと言うのに、やたら長い髪。切るのが面倒、にしてはいつもきちんとしてある。
二十歳前後だろうが、大学に行ってる訳でも無し、さりとて会社勤め、と言う訳でも無い。

『なあ真由。これがナオヤなのかー?』
「甘いかも知れないし、量も多いから、余ったら適当に処分どうぞ」

ヴァルクは無視。
ていうか、この状況で答えたら私が変な人じゃないか考えろガキ。

『だーかーらー、ガキでは無いと』
「ん……おばさんにごちそうさまって言っておいて……。甘い物嫌いじゃないし」
「そんな事本人に言うと、毎日のように作るんで止めて下さい」
「栄養が偏るか……」
「そうじゃなくて」

いまいちずれた言動。
というか、さすがに毎日毎日甘い物尽くめでは栄養以前に嫌になる。
ついでに言うなら、巻き添えでしょっちゅう甘い物を送られる父さんが可哀想で。

『いいじゃないか、美味いぞ、貴様の母上の菓子は。ちと鈍いがな』
「喧しい」
「……?」
「あ、お気になさらず」

不思議そうに見詰める尚哉兄ちゃんに引きつった笑みで返し。
はい、とパイの箱を手渡すと、ドアから数歩退く。

「じゃ、寝てるとこ邪魔してすいません、母さんには言っておくんで」
「ああ、ありがとう」

ようやく頭がはっきりして来たのか、ちょっと笑って。
見えない所でヴァルクの尻尾を強く掴み、軽く礼。

『あいだだだっ! 尻尾引っ張るなっ!』
「気を付けて?」
「どうせすぐ近くなんで、平気平気」

手を振った拍子に、するりと手から尻尾が抜ける。
あ、と思うと、もうヴァルクは手の届かない高い所に浮いていて、涙目で此方を睨んでいた。

『真ー由ー! だから暴力はいかんと何度言えばっ!』
「じゃ、またー」
『がー!』

これまた綺麗に無視して、尚哉兄ちゃんに手を振り。
ばさばさと背後で翼を鳴らす気配。
ちらりと振り向くと、腹いせなのか、ヴァルクはびっ! と尚哉兄ちゃんに指を突きつけ。

『と、言う事でナオヤとやら! 真由の母上菓子は美味いので心して喰え!』

母上菓子って何だよ。とか突っ込み。
溜息を吐きつつ、アパートの廊下を歩き出した。
と。

「美味いのは判ってるけど、心して喰う事にするよ」

尚哉兄ちゃんの声。
普通に流そうとして──ふと何か引っ掛かる。

「……え?」

振り向いても、丁度ドアが閉まった所で。
茫然と見ていると、ヴァルクが寄って来る。

『何だ真由、顔が間抜けだぞ』
「いつも間抜けな奴に言われたくない、じゃなくて。……ね、ヴァルク」
『誰が間抜けだっ!? って、あ?』
「あんたさ、さっき、姿見せてた?」
『は? 貴様が絶対出すな、と言ったから、見せてなどおらんぞ?』

………………。
脳内で整理する為、しばしの間黙り込む。
ヴァルクは意味が分かってないのか、首を傾げている。

『ああ? どうしたんだ?』
「判んないならいいから」
『何だそれ。ずるいぞ。教えるまで動かんからな!』
「いいから、帰ってパイ食べんでしょ?」
『さあ早く帰ろうか』

変わり身の早いヴァルクは、先に立って(浮いて)進み出し。
また溜息を吐きながらも、肩を竦める。


──また、謎増えたし。

この、考えてる事丸判りの悪魔と、掴めない謎の人、尚哉兄ちゃん。
世界って、広いなぁ、とか。

『真由ー! 遅いぞ貴様、先に行って喰ってしまうぞ!』

……平穏な方が、好みなのだが。



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