少女と悪魔とダブルアイス






木の葉舞う秋の日、私は窓の外を見ていた。
と、言っても住宅街の真中なので、生憎並木など洒落た物は無いのだが。
ついでに言うなら、そんなどこかアンニュイな雰囲気をぶち壊す存在がもう一つ。

『何をしている、真由? 顔に似合わないぞ』

……叩き殺したろかこのガキ。
そんな、十六の乙女らしからぬ言葉を心中で吐きながら、
私はのろのろと後ろを振り向いた。
視線の先には、重力を無視して浮かぶ影。
外見だけみれば、まだ十歳程度の少年である。

『人間、自らの器にあった行動をする事が肝心だ』
「ガキが生意気言うな」
『だーかーらっ! 俺様はガキでは無いと何度言わせる気だっ!?』

何を言おうが、足をばたつかせて怒るその様子は、立派にガキだ。
背中に生えた一対の翼をばさばさと鳴らし、私のすぐ前まで迫ってくる。

『大体真由、貴様、このヴァルク様に対して礼儀がなってない!』
「いや、礼儀とか言われても困るし居候」
『うがぁぁぁ!! この素晴らしい悪魔に向かってなんて事を!』
「自分で素晴らしいとかほざくなガキ」
『ガキではないっ!』

いつもの様な問答を繰り返しつつ、私はヴァルクを見上げた。
本来ならば、1メートル程度の身長の彼を見上げる事はまず無い。
しかし、今、彼は私の頭上にいるのだから、見上げるしかないだろう。
何で浮いているのか、と聞かれれば、翼があるから、としか言いようが無い。
何で翼があるのか、と聞かれれば──彼が悪魔だから、としか答えようが無い。

……念の為言っておくが、私の頭は正常だ。

詳しい事は省く。
だが、何とも馬鹿馬鹿しい理由で、私は、このガキ悪魔ヴァルクを召喚してしまったようだ。
ヴァルクは鋭い牙を剥き出し、真っ黒な瞳で睨んでくる。

『と、いうか貴様は基本がなってない!』
「基本て何さ」

びすっ、と激しく指を差してくる悪魔に、私は投げやりに返した。
恐怖とか畏怖とかは、あいにくこの相手には涌いてこないみたいだ。

『普通は悪魔を前にしたら、もーちょっと怖がるなり怯えるなり
 ひれ伏すなり魂差し出すなりするもんだろうっ!?』
「何処の基本だよ」
『世間一般っ!』
「悪魔が世間語るな」
『……差別だっ! 人権保護団体は何処にっ!?』
「あんた人間じゃないじゃん」
『ああっ、しまった!?』

売れない漫才コンビの突っ込みか、私は。
こんな事をやっている場合ではない。
下手をすると、貴重な休みまでこのお子様と過ごす羽目になってしまう。

「それじゃあ行って来ます」
『待てっ! 話は終ってない! というか何で今の会話で「それじゃあ」なんて接続詞に繋がるっ!?
 この間も思ったが、貴様接続詞の使い方おかしいぞっ!?』
「いちいち細かいな」

意味は通じてるんだからいいではないか。
人生アバウトに生きる事が肝心なのだ。
そこらを割り切れてない辺り、やっぱりまだまだガキだと思う。
いや、この感覚が世間一般の基準なのか、自分でも自信は無いが。
……時々大雑把過ぎるとも言われるし。うん。

「今日は友達と約束が有るの。だから行って来ます」
『俺様を置いて行く気か!?』
「そんないきなり別れを告げられたカップルの片割れみたいな事言われても」
『どんな例えだ!? いや、そうじゃなくて俺様も行くぞ!』
「……何で?」
『それは勿論決まっているだろうが!』

嘲笑を浮かべ、ヴァルクは堂々と言い放った。

『真由が居なければ、俺様はおやつが食べられんでは無いか』
「……別に飢えて死ぬ訳じゃないからいーじゃん。行って来ます」
『ああああああ待てっ!?』

鞄を掴む私。すがるヴァルク。
気分は金色夜叉。ってやや古いな。しかも男女逆だし。
こんな例えが浮かぶ辺り文学少女っぽいなー、とか考えてみたりもする。
サナトリウムで療養中の薄幸の私。
かなりどうでもいい妄想まで浮かんだ。

んで、結局の所。





「……うす、春奈」
「おはよー真由。……あれ、その子は?」

待ち合わせ場所に時間通りについた私は、春奈の言葉に引き攣った笑みを浮かべた。

「えーと、何て言うか……親戚の子? 面倒見てくれって言われた」
「ああ、なるほどねー。名前は何て言うの?」

彼女の問いに、私の横に立った相手がふん、と鼻を鳴らす。
黒髪黒目の、いかにも生意気盛りのガキ。

「一度しか言わないからよく覚えておけ、俺様の名はヴァルク様だ」
「そっかー、ヴァルク君……あれ、真由、この子ハーフなの?」
「あー……そんな感じ」

春奈の問いかけに、私はひたすら曖昧に頷く。
ごめん友よ。

「そっかー、真由お姉ちゃんと一緒にお出掛けで、嬉しいね」
「別に。大した事ではなかろう」
「全く、生意気な子でねー」
「はいひゃひゃひゃっ!?」

他の人には見えないよう、ヴァルクの頬を思い切りつねる。
少しは大人しくしてろよ。というか普通にしてろ。
アイコンタクトで通じたのか、それとも痛みでかヴァルクは黙った。
しかし、春奈はにこにこ笑ってヴァルクの頭を撫でる。

「いいんじゃない? ちょっと生意気くらいが可愛いよ」
「……はぁ、そういうもんかね」

一瞬、彼女が天使の様な心の持ち主に見えたのは私だけではあるまい。
それとも慣れていないからなのか。
元の性格の違いの疑いが濃厚だが。
ふん、とヴァルクはこちらを見つめる。

「真由とは大違いだな、価値を判っておる」
「じゃあそっち行けば?」
「俺様が出て行ったら寂しかろう?」
「いや別に」
「即答か!?」

不満げに眉根を寄せるヴァルク。
そんな偉そうに言われて寂しいと言う人間がいるものだろうか。
少なくとも私は心が狭いので無理であろう。

「まあまあ、それじゃあ、今日はヴァルク君も一緒なのね?」
「うん、邪魔くさいかも知れないけど」
「邪魔臭いとはなんがっ」

喧しいので口を塞いでおく。
どうでもいいが、噛み付かないで欲しい。
そんなヴァルクに、私はこそっと囁いた。

「一応成功してるんだね」
「一応とは何だ。……さては、信用していなかったな?」
「まあね」

そう、ヴァルクは普段、私以外には見えない。
だから私はついてくるな、と言ったのである。
見えないのだったらついてきても良い、というのは大間違い。
ヴァルクの事だ、きっと外でも五月蝿く騒ぐだろう。
もしその時、うっかり私が話し掛けたりしたら、変な目で見られること間違い無し。

それはさすがに花も恥じらう乙女として嫌だ。
乙女かどうかは別にしても嫌。

と、いう理由を説明した所、ヴァルクはこう言い放ったのである。

『何だ、そんな物。俺様が見えるようになれば良いんだろう?』

……まあ、最初は翼生えたまんまだったり、牙隠れてなかったり、とか。
色々あった事はすっかり忘れているようである。羨ましい限り。
勿論嫌味だ。

「それじゃあ、お姉ちゃんたちと一緒に遊ぼうねー、ヴァルク君」

にっこり笑ってヴァルクと握手する春奈。
今日の相手が彼女で良かった。
ヴァルクの手を引き歩く姿が、聖母様の様に見えて、私は思わず手を合わせる。
神様、どうやら私は良い友達を持ったようです。

……何だか悪魔にも憑かれているようですが。





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