その日は、素敵に秋晴れの空だった。 私が手を動かすたびに鳴る、ざっざっざっ、と箒が地面を掻く音も清々しく。 風が吹くたびにいちいち舞う木の葉も憎たらしいくらいで。 更に乾燥している所為で埃とか砂も目に入るし。 時たま木の葉が顔面に当って痛かったりもするし。 つまり、嫌々やっている掃除は全然楽しくない、という事だ。 「いてっ!」 また目に砂が入り、私は目を抑えた。 「畜生、ムカツクー……」 うら若き乙女の台詞じゃないって? 放っておいてくれ。 ふと、足元の落書きに目が行った。 従姉妹の未亜ちゃんが昨日描いた奴だ。 『上手だね』と言ったものの、三歳児の絵なんて往々にして意味不明。 未亜ちゃんのも例外ではなく、丸と四角と三角をとにかく適当に重ねたような。 はぁ、と私はため息をつく。つまらない仕事はさっさと終らすに限る。 室内を見ると、付けっ放しのTVからCMの音が流れて来た。 また母さん消し忘れたな。 取り合えずスイッチを切って来ようと思い、とん、と箒の柄を地面についた。 その時。 『……貴様か、俺様を呼んだのは』 「はぁ?」 いきなりの芝居がかった声に、思わず振り返る。 そして硬直。 未亜ちゃんの落書きから、何かの頭が覗いていた。 ずるりっ、とそれは地面から抜け出し、私の目の高さにまで上がる。 『我を呼び出した者よ、さあ、願いを告げるが良い』 尊大な口調のそれは、真っ黒な髪と瞳、そして──同じく、背中には真っ黒な翼。 にぃ、と笑った口の端から、鋭い牙が零れ出る。 羽ばたきの音が、静かな空間に響き──。 私は、思わず呟いた。 「……ガキ?」 『ガキとは何だ貴様っ!』 激昂したように相手は叫ぶが、やはりそうとしか見えない。 身長は1メートルあるかないか。顔はまだ幼さを残している。 今だって、怒っている様子は不貞腐れているガキ……じゃなくてお子様にしか見えない。 私は素直なのだ。 『呼び出しておいてガキとは!? 今の人間は礼儀が足りん!』 「いや、ていうか誰。どっから紛れ込んだのあんたは」 『俺様に向かってあんたとか言うなっ!』 「んじゃガキ」 『ぬぁぁあぁぁぁ!!』 いや、まあそれより先に突っ込み所は山ほどあったけれど。 何で地面から抜け出てきたのか、とか。 何で羽生えてるのか、とか。 何で浮いてるのか、とか。 ただ、まだ残っている私の常識と理性がそれを押し留めたらしい。 何かの冗談。 ガキ(とりあえず便宜上こう呼ぶ)は苛立ったように叫んだ。 『ええい、呼んでおいて誰とは何だ!?』 「ていうか呼んでないし」 『何を言う!?』 そう言って、ガキはびっ、と地面を指し示した。 そこには、未亜ちゃんの落書き。 『これ! これは俺様を呼び出す魔法陣だ!』 「……従姉妹の落書きなんだけど」 一瞬固まるガキ。 ピシッ、という擬音が聞こえてきそうだった。 しかし、立ち直ったのか今度はたき火を指差す。 『こ……これは俺様を呼び出す為に必要な召喚の炎!』 「掃除用のたき火」 『…………!!』 更に引き攣るガキの顔。 見てて結構面白いかもしれない。鬼とか言うな。 『そ、そして、召喚の杖を地面に突き立て、『来たれ!』と叫んだだろう!?』 「そんな事してな……」 言いかけて、ふと思い当たる。 手元の箒を地面にとん、と突きたてた。 安売りのときに買ったきたそれは、杖というには少々チープな上に情け無い。 「……もしかして、これ?」 『ぐっ……』 ガキは一度詰まったが、はっ、と思い出したように言葉を続ける。 『し、しかし『来たれ!』とは言っただろう?』 「えー……?」 そればっかりは本当に覚えが無い。 庭で突然そんな事を叫ぶほど人生に疲れてはいない。 と、ナイスタイミングでCMが流れてきた。 デパートのCM。着ぐるみを来た人が画面の中で踊っている。 『年末大売出しセール! 来たれ!』 『………………』 沈黙。 マリアナ海溝よりも深い沈黙の後、私が口を開いた。 「……まさか、あれじゃないよね?」 『そ、それはその……』 あからさまに目を逸らすおガキ様。 その態度が言葉よりも雄弁に状況を物語っていた。 私はため息と共に言い放つ。 「帰れ」 『NOOOOOO!?』 頭を抱えて絶叫するガキ。 しかし、背を向けた私にしつこく取りすがる。 『と、とにかく呼ばれたは呼ばれたんだから願い事しろっ!』 「ていうかあんた何」 『ええい、見て判らんのか、俺様は悪魔だ!』 「んで、願い事したらどうなるの?」 『そりゃあ勿論、魂を頂く……』 「いらん即刻帰れ」 べしべし、と肩にしがみ付くガキの頭をはたく。 むぅ、とした感じのガキは、ばさばさっ、と翼を広げた。 『信じて無いな貴様!? 宜しい、サービスだ、何か言ってみろ!』 「そうやって気を引こうとしても無駄」 『ワンチャンスプリーズ!』 「やかましい。私は掃除で忙しいの」 こんな異常な状況でも冷静な頭。まあ素敵。じゃなくて、生まれ持った性格だ。 現代的に考えれば、悪魔なんている訳ない。 すると何でこのガキは浮いてるのか、という疑問は残るが。 それは世界には超常現象とかもあるよね、で済ませることも出来なくは無い。 と、ガキはその言葉に目を輝かす。 『それじゃあ俺様が片付けてやろう!』 「は? 邪魔しないで……」 私の言葉を遮るように。 ごうっ! 「わっ!?」 一陣の突風が吹いた。 余りにも強いそれに、私は目を閉じて耐える。 『どうだ、判ったか?』 ガキの声に目を開けると、庭一面に広がっていた木の葉は影も形も無くなっていた。 さすがにそれには、私も呆気にとられる。 偶然にしては間が良すぎた。 「あんた……」 「あらあら、綺麗になったじゃない」 私の言葉を再び遮ったのは、母の声。 振り向くと、にこにこしながら母がこちらに歩いてきていた。 「嫌がってたからロクに片付いてないだろうなー、と思ってたのに」 「いや、これはこいつが……」 点けっぱなしだったTVの文句をいう事も忘れて、私はガキを指す。 ふわふわと私の目の高さで浮いている自称悪魔を。 しかし、母は眉根を寄せただけだった。 「こいつって?」 「え?」 驚いてガキを見る。彼はにやにやと笑みを浮かべていた。 もう一度母を見た。 母は訳が判らないと言った風な顔。 これはいかんと思った私は慌ててフォローした。 「あ、いや、風で葉っぱがかなり飛んで行ったから……」 「ああ、そういう事ね。それじゃあ、中に入りましょ」 さっさと先に戻っていった母を横目に、私はガキを見る。 彼は、それ見たか、とでも言いたげに、私の前を飛んでいた。 『呼び出した本人以外には見えないのだ』 「呼び出した本人て……私!?」 『そういう事になるだろうな』 「…………」 さすがの私も頭を抱えた。 さっぱりとした秋晴れの日が、とんでもないアクシデントに見舞われた物だ。 ぽつり、と言葉が出る。 「私、頭おかしくなったのかなー……」 『なっ!? 現実逃避するな人間! 俺様はちゃんと居るぞほらっ!』 「幻覚と幻聴……ああどうしよう」 『違う! ほらほらほらっ!』 目の前をわざと飛び回るガキを無視して、私はため息をついた。 「いけない、帰って寝よう」 『オウマイガッツ!? 帰るな帰るな帰るなっ!』 首の後ろの襟を掴まれて哀願される。 からかい過ぎたか。 いや、いっそこのまま無視し続けるでファイナルアンサーでもいいのだけれど。 「……悪魔のくせに、何で神さまに叫ぶ訳?」 『慣用句だ気にするでない』 はぁ、と私は更にため息をついた。 諦めて、問い掛ける。 無視しても延々話掛けられ続けて精神に異常をきたすのはお断りしたい。 「んで、あんたの名前は……?」 『よくぞ聞いた、我の名は』 「あ、そう、私は真由(まゆ)だから」 『ちょっと待て俺様はヴァルクだって聞いてるかオイ!?』 ぎゃんぎゃん喚く、ガキ改めヴァルクを背にして、私は頭痛を覚えた。 日常からトリップしたい、という願いを持つのはもう止めよう。 非日常なんぞ、頭が痛くなるだけだ。 |